安岡章太郎 花祭  真上に明るい温い空があった。蒸れた綿のにおいと枯草のにおい、それに土の乾くにおいが、まわりから僕の体を包んでいる。耳もとでアブのように大きな蠅《はえ》が鈍いうなり声を上げながら、ときどき耳タブにとまったりするが、追い払う気にもなれない。干したふとんの上に寝ころんでいるのは実際、好い心持だ。眼をあけると、尖《とが》った棟の本堂の屋根瓦が葉の落ちた梢《こずえ》ごしに白く光っている。  和尚《おしよう》さんは僕に、部屋の掃除とふとん干しを言いつけたまま、どこかへ出掛けて行った。もうあれからどれぐらい過《た》っただろう? こうやっていると、時間はまるでケムリのように眼の前でゆらめきながら消えて行くので、さっぱり見当がつかない。ここは、本堂からもその横に鉤《かぎ》なりにのびた庫裏からも、一段さがった窪地《くぼち》になっているし、南側の生け垣の向うは崖《がけ》になって下の通りまで降りているから、どこからも見透される心配はないのだ。いや、もはや僕にとって和尚さんは何でもない。こうやっているところを見つけられたからといって、別段ちっとも怖《おそ》ろしがることはない。むしろ僕にとって気懸りなのは、こうした静けさ——誰からも見られていないということなのだ。  いつまでも、こうやっていられたらな、僕は立ち木や植込みの茂みに囲まれた空を見上げ、カラカラに乾いたシーツの上に両腕をのばしながら言ってみる。しかし、じつのところ、それは僕が怖れていることでもある。この温められた空気は、綿の間にしみこんでふとんをふくらませ、雑草の管の中にある青臭い汁気をたぎらせるのと同じ作用を、僕の体の内部にもおよぼしていることだろう。知らぬ間に自分が何か変った姿になりつつある、これは実際へんな気持だ。耳タブの上にとまっていた蠅が頬の横へ移動しはじめた。蠅の足には吸盤のようなものでもついているのだろうか、うごいて行ったあとに粘り気のある痛痒《いたがゆ》さがのこる。僕は死んだふりをして眼をつむったまま、黒い毛に包まれた脚が用心ぶかく頬の上を這《は》っているさまを想像する。蠅としては、地面に落ちた桃や熟れた西瓜《すいか》とくらべて歩き心地はどうだろう。僕は小鼻のわきから上唇へかけて、密生したうぶ毛がだんだん黒く色づいてきていることを憶《おも》い浮べた。すると突然そこから先を考えるのがイヤになり、僕は蠅をはらいのけた。  なぜだろう、僕には自分のやったことがわからない。僕は反射的に寝がえりをうち、横眼でそっとあたりをうかがう。眼球のはしに窪地の斜面の一個所がうつり、僕はふたたびドキリとする。踏みくずされたのか、ひとりでに崩れ落ちたのか、雑草におおわれた地面が、そこだけ赤いハラワタのような土の断面をさらしている。土の中にもぐりこんでいた草の茎は白くツヤツヤ光っており、さきは細いヒゲのような根っこになって、せいいっぱい泥を抱えこんでいる。……暗い重苦しいものに胸を抑えつけられて、心臓が不意に動悸《どうき》を打ちはじめる。まるで頭のうえでイナビカリでもしたときのように、僕は眼をかたくつむり、歯をくいしばる。と、どうしたことか暗い眼蓋《まぶた》のなかに白い女の子の脚や股《また》ぐらが浮び上り、それが見るみる強く、灼《や》きつくようにハッキリと迫ってきて、僕はその中にすっぽり包まれてしまう。そして胸の動悸もまた心配や怖ろしさのためではなく、好奇心のよろこびに高鳴りはじめるのだ。  あのとき女の子は、「こわい」と言った。股をひろげて小便をするような恰好で地べたにしゃがみこんだままでだ。僕は、そんな彼女を息をつめながら下から熱心に覗《のぞ》きこんでいた。……「こわいよお」と、女の子はほとんど泣き出しそうな声でさけんだ。何が怕《こわ》いもんか、僕はその泣き声に一瞬ひるみかけながら、そう思った。手ににぎった鉄道草の茎が汗をかいてしおれかかっている。青白いその茎は女の子の内腿《うちもも》と同じくらいに柔らかく、さっきまでは冷いしめり気をおびてツヤツヤ光っていたのだ。女の子の顔は真赤になった。僕は胸の中が熱くなる。……だいじょうぶだよ心配しなくても、だいじょうぶだったら。僕はせいいっぱい愛想のいい微笑をととのえながら、女の子の方へにじりよる。 「こわいよお」  女の子はまたさけんだ。黒い瞳《ひとみ》の中にこれまでにない恐怖の影が反映した。僕はイラ立たしい気持で振りかえった。すると、女の子の弟をのせた乳母車がゆっくり、まるで夢でもみているようにノロノロと背後の斜面を、いまにも転げ落ちそうになっているのだ。  そのときの緊張、その恐怖、そのオカシサが何であったのか僕にはわからない。わかっているのは僕が一瞬のところで崖下に転落しそうになっている乳母車をつかまえたことと、次に女の子の脅《おび》えた顔色をもう一度ながめなおしてみたい気持になったことだ。あのとき、たしかに僕はこれまでにない快いもの、愉しいものを感じた。しかし、それを憶い出そうとおもっても、いまはそれができない。  はじめて僕がこの寺へつれてこられたのは二年ばかり前の、冬の寒いころだ。傾斜の急な暗い石段を上ってくる間じゅう、母は肥《ふと》った体に息をはずませながら、文句のいいどおしだった。 「お前がわたしに心配をかけるたびに、わたしの体はそれだけ肥る」  これは彼女の口癖なのだ。母はすくなくとも親戚《しんせき》中では一番気楽なくらしをしていることになっている。口やかましくない父と一人っ子の僕、家族はたったそれだけだから、家にいて面倒なことは一つもない。父が連隊からもらってくる月給は多すぎも少すぎもしないし、それで毎月のくらしを立てて行くことは子供にだって出来るだろう。母は月給日の前ごろにお金がなくなると、ロバがひいてくる「玄米パン」の馬車を呼びとめてアンパンを買い、それを御飯の代りにした。母にわたされた五銭玉をにぎりしめて、僕はどんなに張り切って馬車に駈けつけたことだろう。母と二人で畳の上に寝そべったまま、紙袋の中で湯気を立てているパンを手づかみにして食べるのは、どんな御馳走よりもたのしかった。他の家では食事だのオヤツだの時間をきめて子供にあたえるところもあるらしい。そんな規律正しさは無意味なことだと母は僕に教えたし、僕もそれに賛成だった。たしかに家の中でわざわざ規則をつくって自分からそれに縛られるのは馬鹿なことだ。ただ、いまになって考えると、こうした気ままな母のやり口から一つだけ悪い酬《むく》いがきた。僕がナマケモノになったことだ。そして、それが母にとって唯一の心配事なのだ。学校からハトロン紙の封筒に入った呼び出し状がくると、そのたびに母は怒りと心配で青くなりながら、分厚い胸に手をやって、苦しげに吐き出す息といっしょに「また、こんなに肥って——」と言う。おかげで僕は、いまでは母の白い皮下脂肪に圧迫された心臓が、鶏よりも、鳩よりも、雀《すずめ》よりも、小さく縮まって行くさまを、まるで自分自身の心臓のように感じることができる。……しかし、ものごころついてから僕の眼にうつる母の体躯《たいく》は、いつもきわめて巨大なものに見えたから、僕が心配をかける回数と母親の体積との間に、一体どのような関係があるのか判断しにくいところがある。 「ああ、くるしい……。ああ、たまんない……。あーあ、ほんとに耐《たま》らない。これもみんな、おまえのおかげだ」  母は石段を一段あがるたびに仰向《あおむ》いて言った。あたりは真暗で、この石段はどこまで行ったら終りになるのかわからない。おまけに、ところどころ石が欠け落ちており、そのたびに膨らんだゴム毬《まり》のような母の体は僕の肩や背中によろけかかって、白粉《おしろい》のにおいと、防虫剤のしみこんだ毛織物のにおいとが、暗闇の空気を掻《か》きまわすように拡がった。——「このにおいとも今夜で当分、お別れだ」と僕は心ひそかにツブやいた。僕はきょう、これから、このお寺、永正寺でくらすことになる。東京で一流とまでは行かなくとも、二流の中には充分かぞえられるD中学の入学試験に合格したのは、僕としては大手柄だったし、母の体もいくらかは痩《や》せられたはずだが、その状態はせいぜい半歳ぐらいしかもたなかった。ブルドッグという仇名《あだな》の担任の教師と、頭は禿《は》げているのに顔は美少年そのままの教頭から、たびたび家庭のシツケと学業に関する注意が発せられ、三学期に入ると間もなく、「このままでは原級もしくは転校の処置をとらなければならなくなるから」というので、国漢の保成倫堂《やすなりりんどう》先生の家へ�入院�させられることになったからだ——。僕にとって、この処置は二重の意味でありがたかった。一つは�入院�することは学校の中で、ただの劣等生とはちがった箔《はく》をつけられることになるからだ。頬のこけた赤ら顔のZ、もみあげを長く耳の下までのばしているK、平らなトリトメのない面だちなのに眼つきだけが鋭いI、彼等はみんな上級生だが、それぞれ札つきの入院患者として、われわれから怖れられている。彼等の顔には、例えば鉄格子の影がさしたような陰鬱《いんうつ》な精悍《せいかん》さと近寄り難さとがあり、僕は自分もまたそのような顔つきになるのかと思うと、言いようのないよろこびと緊張とを感じたのだ。それにあずけられる先の保成倫堂先生の家が曹洞宗《そうとうしゆう》の寺で先生はそこの住職だということも、何か一風変った期待をいだかせる。……しかし、何よりありがたかったのは、同じ個所を練習しているヴァイオリンの執拗《しつよう》さでまつわりついてくる母の嘆声から逃げ出せることだった。「ああ、またこんなに肥って」お母さんは、それをどこまで本気で言っているのか? 僕はときどき母が「姉さん」ぶっているように感じる。僕だって知らずしらずそれに調子を合せていやしないか? そう思うと僕は後足で得体のしれないものをグニャリと踏みつけたような気持になり、わけのわからぬ狼狽《ろうばい》とイラ立たしさをおぼえてつぶやく。「お母さんなら、もっとお母さんらしくしてるがいいや」  僕の想像したお寺というのは、頭を剃《そ》り上げた何人もの小坊主が、朝の暗いうちからお経を読んだり、庭の落葉を掃いたり、隊伍《たいご》を組んでひろい廊下や縁側を拭いたり、といったわれわれの日常とはちがった集団生活の行われているところだ。それは厳しいかわり、お母さんの調子はずれのヴァイオリンみたいに気まぐれな小言をしつっこく聞かされることもないだろう……。しかし、ここには寝とまりしている僕と同じ年頃の小坊主はいなかった。ひろい縁側も廊下もなかった。お寺といえばすぐ頭に浮ぶ鐘突き堂もなかった。鐘は本堂のすみに火の見ヤグラの半鐘《はんしよう》ほどのが吊《つ》るしてあり、その横の骨壺《こつつぼ》をあずかる部屋に黒い立型のピアノがあった。日曜日になると、この半鐘のような鐘が鳴らされ、集った近所の子供たちが倫堂先生のピアノを伴奏に、   天にはひかり地には花   たった一人の王子さま  という歌を合唱する。それはキリスト教の讃美歌《さんびか》に似ているが、おシャカ様の誕生を祝う歌なのだ。このお寺はキリスト教の日曜学校をマネしているにちがいなかった。どうしてそんなことをするのか、僕にはその理由はわからない。しかし古びた本堂からお経の代りに讃美歌めいた唱歌が聞えてくるのは、このお寺の性格をあらわしていると言ってもよかった。先生の奥さんは鼻の長い、背のすらっとした人で、女子大出身だそうだが、この人がやはりお寺さんの出だとは不思議な気がする。余計なことだが、僕はお坊さんの結婚式とはどんなものか、考えると何だか奇妙になるのだ。先生と奥さんの間に、四つになる女の子と、赤ん坊の男がいる。それにいやに顔の幅のひろい猫背の女中、これが家族の全員だ。  要するに、お寺には僕の好奇心を満足させるようなものは何もなかった。ただ普通の家にくらべて建物がずっと大きく、古めかしく、暗くて、陰気だというだけのことだ。最初の夜、つきそった母がかえったあと、先生は納戸の奥のかんがえられないほど薄暗い部屋に僕を案内した。なかへ入ると畳がふわりと、まるで古いふとんを踏みつけたように凹《へこ》み、びっくりして思わず次の足をシッカリ踏み出すと、ぽこっと鈍い音がして畳のつなぎ目が一寸ほど落ちた。床のどこかが腐って折れたにちがいなかった。反射的に僕は先生の顔を見上げた。そのときの和尚さんの顔をなぜか僕は忘れることができない。先生は何も言わず、口の中で小さく舌をうごかすと、痩せた頬に微笑のようなものをうかべた。すると僕は、この人は黄疸《おうだん》をわずらったのだということを憶い出した。一学期の中頃からしばらく、国語と漢文の授業が休みになって、われわれは先生の病気に感謝した。そのとき聞いた病名を、いま僕はこの古い部屋で突然想いうかべたのだ。シジミ、泥のなかで住んでいる貝が黄色い汗を止めてくれる病気、それを僕らは他人の無関心さで噂《うわさ》し合った。しかしいま同じ無関心さが僕を檻《おり》のように閉じこめてしまった。 「じゃ、今夜はゆっくりおやすみ」 「おやすみなさい」  和尚さんが部屋を出て行くときの言葉を芝居じみていると思いながら、僕は追いつめられた動物が穴の中へ駈けこむような気持で、ふとんにもぐりこんだ。その冷いこと、こんなにふとんが冷くなるものとは初めて知った。まるで水に漬ったようだ。——お母さんはもういない。いまごろは家で着物をきかえているだろうか。しかし玄関で別れた母の肥った丸っこい背中が小さく消えて行ったことは忘れることにした。闇の中で遠くから、低い男の声が調子をつけてうたうように聞えてくる。誰かがお経を上げているんだ、僕は一瞬そう思い、夜気に包まれた寺が途方もなく拡がって行く気がした。けれども、よく耳をすますと、それは谷一つへだてた向うの丘のA駅のラウド・スピーカーが列車の発着をつげる声だった。  朝は田舎の家のように、外の井戸端で顔を洗う。空気が冷くて寒いのは何でもないが、水がやたらにハネ返るのは閉口だ。ウガイの水を吐き出すと、井戸のわきの柿の木の黒い根本に歯磨の混った白い唾《つば》がべったりとひっかかって、何とも言えず汚らしい。 「歯をよくみがきましたか」  と奥さんが笑いながら声をかけた。前の晩、母が「この子は、まだ一人では満足に歯もみがけませんの」と言ったことを憶えていたからだろう。けれども、あれは母が冗談のつもりで話したことだ。無論、僕は歯を他人にみがいてもらったことは一度もない。濡れたタオルをぶら下げたまま、お膳《ぜん》のまえで支度している奥さんに、どこへ干せばいいのかを訊《き》こうとすると、奥さんは、 「ほかのことはかまいませんけれど、朝のお食事のまえのお祈りだけはしてきてちょうだい」と言った。「簡単に手を合せるだけでいいでしょう。……ね、おとうさん」 「ああ」  と黒いころもを着た先生は、柱の方を向いたままこたえた。先生は恥ずかしがっている、と僕は思った。先生がころもや袈裟《けさ》をつけているのを見るのは、そのときがはじめてだったが異様な感じはすこしもしなかった。学校で朝礼の時、坊主刈の頭をふりふり、だぶだぶの黄ばんだワイシャツの腕を振り上げながら体操をしている先生の方がよほどおかしい。先生は不意に出窓の縁に腰を下ろすと、ころもの裾《すそ》をぐっとまくり上げて白足袋のコハゼを掛けながら訊いた。 「どうだ、ゆうべは良く睡《ねむ》れたか」 「ええ」  僕はこたえながら眼をふせた。母が足袋をはきかえている恰好を想い出したからだ。肥って腹のつきだした母は前にかがむのが苦しいからと、縁側の籐椅子《とういす》に足を掛けて足袋をはく。着物の裾からはみだした母の脚は白くてまるっこい。先生の脚は骨ばっているうえに黒い毛がはえている。けれども眼の前で交錯している二本の脚をみていると、僕はまるで悪いことでもしそうになっている時のように、胸がつまり、先生の眼と眼が合うと何かヘマなことを見つけられたような気持になった。 「ま、そのうちに慣れるだろう」  先生は、バツが悪そうに眼をそらした僕を、さびしがっているものと勘ちがいして言った。 「はい」  僕は、おしえられた本堂の方へ廊下づたいに駈け出した。  本堂で僕は何をしていいかわからなかった。僕の家は神道で仏教には縁がないのだが、そんなことよりも、このトリトメもない広い座敷のどこへ坐るべきかに迷ってしまう。金色をした大きな仏壇は、ふだんなら何か悪戯《いたずら》をしかけたい気を起させたかもしれないが、このガランとした雰囲気《ふんいき》の中では、そんなことは考えただけでもツマらない。朱塗りの大きな木魚《もくぎよ》や銅鑼《どら》も、ここに置かれてあると、こっそり鳴らしてみようという興味もわいてこない。ここにあるものはみんな、ただの道具なのだ。カビくさい、死人の臭いを吸いこんで、ひっそり静まっている家庭の日用品。僕は仏壇のうらへ廻った。案のじょう、何もない。梯子段《はしごだん》のうら側の押入れにはいったようなものだ。本堂のさきに、もう一つ小さなお堂がある。弁天堂という名前だが、荒れはてて見すぼらしく、何がまつってあるのかわからない。灰色をした大きな太鼓が眼について、叩いてみるとべコンと陰気な音がした。 「ずいぶん長かったのね」  茶の間へかえると、先生の奥さんが言った。 「はア」  僕は悪いことをしていた人間が何くわぬ顔でこたえるような返辞をする。 「そう」  奥さんは何となく感嘆詞を発し、フチなし眼鏡のおくで眼をほそめる。 「本堂の方と、それからもう一つのお堂も……」  僕は調子づいて言った。 「弁天堂へ? あっちの方は行かなくてもいいのよ」  奥さんは、気のせいか眉をひそめるように言った。——なぜだろう。僕は急にあのお堂が妖《あや》しいものに思えてきた。いや奥さんは、ただあの汚いお堂を見せたくなかっただけのことかもしれない。しかしそれなら僕の住むことになった部屋だって、いいかげん古くて汚れているのに……。僕がぼんやりそんなことを考えていると、わきから先生が事務的な声で言った。 「さア、飯だ飯だ、ぼやぼやしていると、入院第一日目から遅刻だぞ」  期待をうらぎられたのは僕だけではなかった。学校での僕は依然として成績不良の生徒だったから、入院をすすめた教頭や担任の先生もがっかりしたにちがいない。倫堂先生や母も、また違った意味で落胆したはずだ。しかし結局のところ、誰にとってもこれは大した問題ではなかった。学校としては毎年何人かの劣等生がでることはやむを得ないし、母にしてみればともかく僕が落第をしなかっただけでも見つけものと思わなければならないからだ。倫堂先生の面目をかんがえて学校は、不成績な僕を特別に及第させてくれた。この形式主義のおかげで僕は危機を脱することができたが、同時に無気力なナマケごころを助長した。  ところで�危機を脱する�といえば、僕はいつもきまって一つ憶い出すことがある。それは子供のころ銭湯で小便がしたくなり、裸のまま洗い場を飛び出して便所に駈けこむ瞬間のことだ。濡れた足跡を脱衣場の籐の敷物の上にのこしながら、間一髪のところで便所の扉にたどりつき、無我夢中で緑色をしたセトモノの朝顔に跳びつく。じつは銭湯の便所にはバイキンがうようよしているようで、めったなことでは入る気になれない。まして裸では濡れた体にあらゆる菌が吸いつきそうで、想っただけでもゾッとする。が、いまはそんなことを言っていられる場合ではない。つま先き立って僕は、必死でちんぽを正面に向ける。と、ほとばしり出る小便と同時に軽くなり、あらゆる緊張感が湯気と泡《あわ》の立つ液体といっしょに流れ出す。……この記憶は、いつ、どういう時からということもなく、僕の体にシミついてしまっている。困ったとき、怖ろしいものにぶっつかったとき、僕は裸のまま前を指でシッカリひねり上げるようにして駈け出して行く自分の姿が眼にうつる。そして「身ヲステテコソ浮ブ瀬モアレ」という言葉といっしょに、何とかなるさ、あのときだって間に合ったんだから、と思うのである。  おそらく、それは僕にとってお祈りの一種なのかもしれない。いま僕は毎朝、仏壇に向って手を合せながら、風呂屋の便所のひんやりした空気が裸の自分を取りまいていたことを憶い出す。やがてその空気は生温く濡れた腹の肌をくすぐりながら、顔の上までのぼってくるだろう。そのホッとした心持は、いま憶い出すとよけいに甘美なものにおもわれる。そんな気持で僕は仏壇に頭を下げながら、「きょうも、どうか英文法や代数の質問があたりませんように」とつぶやくのだ。  僕にとって教室は、ものを教わるところではなく、教師がドナリ声を上げているところにすぎなかったから、僕はもっぱらそのドナリ声が自分の方に向って発しられることがないように願うばかりだ。ドナらない教師はフシをつけて歌うようにやる。数学のS先生がそうだ。「ニンイの半径で弧《こ》をえがき、直線とエンでマジワラしめ、」と、竹の棒をふりふり背のびして黒板を叩きながら、拍子をとっている。おかげでこちらは何を言われても「タンタカ、タンタカ、タカタカタン」としか聞えない。それより、もっとイヤなのはブルドッグの英語だ。仇名のとおり背が低いわりに肩幅が広く、まるで頭から石臼《いしうす》か何かで圧《お》しつぶされたような恰好だが、ひどく気取り屋でその大きな頭にイタリヤ製だという目の醒《さ》めるようなミドリ色の帽子をかぶって来たりする。そのほか身につけているものは腕時計でも何でも名前のとおったものばかりだ。僕はたぶんこの先生から嫌われているにちがいない。分厚い近眼鏡の奥から白い三角の眼で見つめられるたびに、そう思う。つまり僕には「一流品」らしいところが全然ないからだ。仮に勉強ができなくても、得意な運動があるとか、可愛らしい顔つきをしているとか、身じまいがキチンとしているとかいった特徴があれば、先生に気に入られる可能性がある。ところが僕ときては、そんな要素がまるでない。服装検査があるたびに、不良がかった連中はポケットの底にタバコの粉がたまっていることや、喧嘩《けんか》の道具につかわれる剣道のツバだの飛び出しナイフだのの出てくることを怖れるが、僕のポケットにはそんなものもない。何日も前に鼻をかんだハンカチだの、汚れた靴下だの、食いかけたパンの耳だのが、ぞろぞろと、われながら奇怪におもえるほど、とめどもなく現れる。そんな時、ブルドッグはクシャクシャにまるめた油臭い靴下を、まるで腐った魚をつまみ上げるような手つきで僕の鼻先にぶら下げ、黙って顔をのぞきこむと、そのまま何も言わずに行ってしまうのだ。……この先生が獰猛《どうもう》な顔に似合わぬテナーの声でリーダーを読み上げるのをきいていると、僕は尻がむずむずして吹き出したくなる。まるで「エイゴの魂」がこの人にとり憑《つ》いたみたいで、西洋人のように肩をすぼめたり、手をひろげたりするのだが、そのたびに短い脚が、いよいよズングリ短くみえる。そのくせ、ご本人はますます興にのってリーダーを振りまわしながら、 「オール・ツギャザ(さア、みんなでいっしょに真似しましょう)!」  と一段と、声をはり上げるのだ。僕は、ひとごとながら恥ずかしさで真赤になる。なぜだろう、なぜ恥ずかしくなるのだろう。ともかく皆が言われたとおり先生の合図でパクパク口をひらきはじめると、僕はたまらなくなって俯向《うつむ》いてしまう。すると、その時だ、ブルドッグは怒りに眼を燃え立たせてドナる。 「おい、吉松、何がおかしい」  たちまち僕は本物の猛犬に吠《ほ》えつかれたような恐怖を感じ、机にしがみついたまま口もきけなくなる。——実際、何がおかしいと訊かれたって、こたえようがない。かんがえてみれば、ちっともオカしいことなんかないはずだからだ。——殴られるかな? 僕はいつかブルドッグが黒いエン魔帳で僕の頬をイヤというほど張りとばしたことを憶い出しながら、机の下で両手をにぎりしめる。殴られたって痛いとは思わない。ポマードのにおいがぷんとして、顔じゅうに熱い息がかかり、眼のなかで火花がチカチカする、それだけだ。だが殴られることはやっぱり厭《いや》だ。ブルドッグが革製の重いスリッパをひきずるように近づいてくる足音をきいただけで、胸がどきどきする。——やっぱりやられるんだ。僕は観念して、全身の毛穴がシボんで行くようなおもいで身構える。と、ブルドッグは何を思ったか、くるりと振り向いてそのまま教壇に引きかえす。……やれやれ、僕はそっと息を吐いて、からだの中に張りつめていた神経の糸がゆるむのを感じる。すると、さっきから自分が、けさ本堂でとなえた「お祈り」の文句を口の中でくりかえしていたことに気がつくのだ。「何とかなるさ、何とか……」  といって勿論《もちろん》、僕は倫堂先生のお寺でお経を教わったりしたわけではない。それどころか先生も奥さんも、できるだけお寺を普通の家と変りないものにしようとしているように僕にはおもわれる。けれども、じつはそのためにかえって、お寺の陰気さが目立ってしまう。夕食にカレーライスが出たりすると、奥さんは「今夜はうちは�レストラン・ヤスナリ�よ」と言いながら、花を差したガラスのコップをお膳の上におく。花をながめながら西洋皿の御飯をサジですくって食べることで、洋食屋に行った気分を出そうというわけだ。だが僕はどうしたことか、コップの中のダイダイ色の花でお墓を憶い出し、しめっぽい線香のにおいやヤブ蚊のうなり声が、あたりに漂いはじめるような気持になるのだ。  僕は子供のころからお化けや幽霊は怕《こわ》がらない方だった。けれども納戸の奥の僕の部屋の陰気さかげんには、おそろしく落ちつかない気分にさせられる。壁にも天井にも、びっしりとカビが根をはって、寝ている間にも眼に見えない小さなカビの花弁や花粉が舞い下りて僕の体をうずめつくしはしないかと思われるほどだ。倫堂先生は「掃除をしなさい」と言う。けれども、これは掃除で奇麗にできる陰気さじゃない。部屋の西側に縁側があり、雨戸をあけるとすこしは明るくなるのだが、僕はなるだけこれは開けないことにしている。雨戸の外は、しめっぽいゼニゴケの生えた中庭で、正面にフタの毀《こわ》れた便所の汲《く》み取り口があり、冷いヒリヒリするような臭いがマトモに這入《はい》ってくる。くさいとか、汚いとかいうよりも、この臭いをかぐと僕は何となく背筋の寒くなる気がするのだ。……小学生のころ、宿題をやらずに学校へ行くと一日じゅう立たされるので、毎日学校へ行くふりをしては青山墓地でブラブラしていたことがある。煤《すす》けた黒い植込みと、蘚《こけ》のはえた墓石にかこまれたなかで、僕は蟇《がま》ガエルのように一個所に腰を下ろしたまま、空を見上げながら時間がたつのを待っていた。そんなことをしていたって学校へ行くよりも面白いわけではなかったが、それでもこのお寺でくらすほど陰気な感じはしなかった。地面はここと同じようにじゅくじゅくしており、いくら叩いてもヤブ蚊がよってきて半ズボンの脚が血だらけになるのだが、これは陰気なことでも怖ろしいことでもない。お墓の下で眠っている大勢の人たちのことを考えると、それは死人であるよりも、いつも僕の味方をしてくれる人たちのような気がした。……だが、この納戸の奥の部屋では、どういうわけか、あの世へ行った人たちが僕の側についてくれず、壁や、天井や、畳の目の中にシミついたまま僕を取りまいているようだ。そしてそれは便所のにおいの風にのって、眼に見えない冷い手になって僕の体じゅうを撫《な》でまわすのだ。学校で僕はクラスの連中からマッコウ臭いといわれるようになった。——これも僕にとっては意外な、というより心外なことなのだが——となりにいる滝村というのが、僕の貸してやった消しゴムをふと鼻にあててクンクンさせながら、 「くせえや、やっぱりそうだ。……この間から、こいつの体はどうも抹香《まつこう》のにおいがすると思ったら、ゴム消しまで同じにおいがしやがる」と言うのだ。 「嘘《うそ》をつけ」と僕は言った。 「嘘なもんか。嘘だというんなら、みんなこいつの服のにおいを嗅《か》いでみろ。……どうだ、におうだろう」  がやがやと集ってきた連中を前に、得意そうにそう言う滝村の顔を、僕はべつに憎たらしいとも思わなかった。あきらめともつかない、へんにシラけた気持になっただけだ。こいつは、自分のおふくろのマネをしていやがる。自分のおふくろが近所のおかみさんを集めてやるとおりのことを、おれに仕掛けているんだろう。僕は、首筋のふといガッシリした体つきの滝村の顔に、なぜか中年の小母《おば》さんに似たものを見つけて、そう思った。しかし、どっちにしろ、そんな滝村の言うことに反対したってはじまらない。ともかく僕はいまでは「お寺さん」の家族の一員であることはまちがいないのだから。  ところで雨戸を閉めきっても、それで便所のことを忘れてしまうわけには行かなかった。なかで用をたしている音が、この湿っぽい部屋にいると、何から何まで手にとるように聞えるからだ、息ごむ音、紙をもむ音、そして冷いひびきをたてながらタメのまわりに築かれた黒ずんだ石を舐《な》めるように液体が流れ落ちて行く音……。僕はこのごろでは、音をきいただけで中にしゃがんでいるのが誰で、どんな姿勢をしているかもハッキリ眼に浮ぶようになってしまった。倫堂先生はものしずかに入ってくるが、しゃがむときポキポキと膝《ひざ》の関節が鳴るので、あとは聞かなくてもわかってしまう。朝礼の体操で手脚を不器用にもちあつかいながら、そのくせひどく糞《くそ》マジメな顔つきで膝の屈伸運動をやっている和尚さんは、きっと便所のなかでも眼を正面にすえ、口をひきしめてやっているにちがいない。奥さんのは柔らかな音だが、それでいてどことなく堂々としたひびきがある。入ってから音のしはじめるまでが割りに長くかかるのは、和服の下にいつでもズロースをはいているためだろう。僕は、その白くて太腿のところにヒダをよせたはきものを、女中の勝ちゃんが背のびしながら物干しに干していたのを憶えている。結婚した女のひとで、こういうもので身じまいしているのは奥さんが女子大を出ているせいだ、と勝ちゃんは言った。……ところで、その勝ちゃんの音がいちばん僕の耳につく。ばたん、ばたんと、板戸の閉まる音につづいて、すぐさまはじまるその勢いはげしい音は、僕に彼女のガニ股ぎみの短い脚を憶わせずにはいない。脚が短ければ壺との距離も短く、したがってハネ返る音も大きいという道理だが、そんなことより音そのものが彼女の腰つきや体つきをホウフツとさせてしまうのだ。だから、どうかして奥さんの音だと聞いていたのが途中から勝ちゃんの音だと気がついたりすることがあると、僕は口へ入れた御飯の中に髪の毛が出てくるときのような気色の悪い心持になる。  夜、電燈を消して、ひんやりしたふとんにもぐりこみながら、そんな物音に耳をかたむけて、——これではまるで一日じゅう便所のなかで暮らしているのと同じじゃないか、——と僕は憤慨したようにツブやく。そのくせ、その不潔な点滴の音には、なにか物悲しくなるような、なつかしいひびきも混っている。  伊藤さん、というのは倫堂先生のお父さんのお寺につとめていて、ときどきこちらへも手伝いに来るお坊さんだ。としはまだ二十五にもなっていないぐらいだろうが、もう五十すぎた人みたいにも見える。痩《や》せ形で、煤けた顔の色がしぼんだドングリの皮みたいだ。いつも誰ともあまり口をきかないが、よく見ると、風呂場の焚《た》き口にしゃがんで、ひとりでブツブツ何か言っている。ころもの下に手を入れて紙切れを取り出しては、眼をつぶって一心に暗記ものでもしている様子だ。お経だろうか。このお寺で僕をつかまえて、ときどきわけのわからないお経の話をしてきかせるのは伊藤さんだけだ。で、僕は伊藤さんはその練習をやっているのだと思った。そばへ寄ると伊藤さんは僕の顔を見上げながら、 「あんた、百人一首を知っとるかね」と訊く。  そういわれても僕は咄嗟《とつさ》にこたえようがない。「知ってるというほどでもないけど、やったことはある」 「ふうん、知っとるかね、君はえらいのう」  僕は、伊藤さんにからかわれていると思った。が、おどろいたことに伊藤さんの顔は本気だった。 「そうだろうな、百人一首ぐらいは誰でも知っとらな、いかんものだろうな」  釜《かま》の底を火箸《ひばし》で掻《か》きまわしながら、伊藤さんはまたころもの下のタモトから紙切れを出して読みふけった。おおえやまいくののみちのとおければ、まだふみもみずあまのはしだて——。それはどういうものか大抵は誰もがまっさきに憶《おぼ》える歌だ。 「こういうものを知らんと、女にまで馬鹿にされるでなア」  ことしの正月、何かの寄り合いで百人一首をやろうと言われ、伊藤さんは、カルタはやったことがないからと、読み手にまわった。ところが百人一首など読んだこともない伊藤さんは、たちまちつっかえ、皆からさんざん笑われたうえに、身の置きどころもなくなって、その場をはずさなければならなくなった、だから今年中にせめて読み方ぐらいは出来るようになるつもりで暗誦《あんしよう》しているのだ、というのだ。僕は、その伊藤さんのマジメさにあきれてしまった。歌がるたをスラスラ読めるようになるために、どうしてその歌を全部暗記してしまわなくてはならないのか。僕がそう言うと伊藤さんは、「いやダメだ。じぇんぶ頭に入れておかんことにゃ、どうしても途中でつかえる」と、へんに頑固に言い張るのだ。そういえば、まえに方丈《ほうじよう》さま(倫堂先生の父親に当る人のことを、ここではそう呼ぶ)が「伊藤のやつ、いくらモーターに乗れといっても乗らん。せっかく買うてやったのに、なぜ乗らんかと言うてやったら、人の見ているところでだけは乗ったふりして、見とらんところでは手で押して歩いとる。あれではガソリンもモーターも勿体《もつたい》ないことじゃ」と声をふるわせて怒っていたことがある。方丈さまの考えでは自転車にモーターをつければ、それだけお経を上げに行く家をたくさん廻れるというわけだ。僕は伊藤さんの心持もわからないこともない。坊さんがころもをヒラヒラさせながらモーター自転車で走って行くのは滑稽なありさまにちがいないからだ。しかし方丈さまにすれば伊藤さんの頑固さが何よりも腹立たしかったのかもしれない。風呂の焚き口に覆いかぶさりそうな恰好で、ときどき煙にむせたりしながら、がんとして「おおえやま」をブツブツ暗誦しつづける伊藤さんをみていると、そう思うのだ。 「だいじょぶだよ、もうそれだけやったら憶えられたにきまってるよ」  僕は、ひとごとながらイライラして、言った。 「わかっとらい。君みたいな子供は、あっちへ行っとれ!」  伊藤さんはドナり返した。手に焦げた火吹き竹をにぎっている。その見幕におどろいて、僕は一瞬、立ちすくんだ。そこへ女中の勝子がやってきた。 「周ちゃん、さっきから何を騒いでんのさ。坊っちゃんがせっかく眠ったところだから、静かにしてよ」  僕はこの女から「周ちゃん」と呼ばれるのが、いつまでたってもイヤだった。お寺にあずけられたからといって、女中から朋輩《ほうばい》あつかいにされることはない。しかし先生も奥さんも黙っている以上、僕からは文句が言えないわけだ。僕がそっぽを向くと、勝子は伊藤さんに話しかけた。 「あら、伊藤さんのあたま、まただいぶのびたわね。あたしが剃って上げようか」  伊藤さんは返辞をしなかった。ざまを見ろ、と僕はおもった。勝子は着物の袖《そで》をまくり上げた手を帯の間へはさみながら言った。 「一度剃っても、中一日おくと、ずいぶん黄色くなるって言うよ。伊藤さんのは、もうずいぶん黄色くなっちゃってるよ、はやく剃りなさいよ……。そんな頭をしてちゃ、カフェへ行ったって、もてっこないよ」  こちらに背を向けたまま焚き口にうずくまっていた伊藤さんの、どんぐりの皮のような首筋の肌が、さっと赤くなったかと思うと、急に向きなおって、黙りこくったままジッと勝子の顔をにらみつけた。すると勝子は、白くて、平べったくて、幅のひろい顔に、テレかくしみたいな笑いをうかべた。口もとに引っ掻いたようなエクボができ、なま白い魚の腹みたいな喉《のど》もとがヒクヒクうごいた。しばらく二人はそうやっていたが、やがて勝子はふいにケタケタと隙き間だらけの歯をむき出して高い声でわらうと、そのまま台所の土間の方へ駈けて行った。僕は、こんどは腹が立つよりもアッケにとられて、伊藤さんの顔を見返した。伊藤さんは、まださっきの火吹き竹を片手ににぎりしめたまま、夕暮れの水色がかってくる空気をボンヤリながめているふうだったが、僕の顔をみるとその眼を狼狽したように地面に向け、焚き口の方に向きなおって、竹で自分の両肩を二三度ずつ叩いた。僕は黙っていることが、なぜか間《ま》が悪くなって訊いた。 「カフェって、どんなところなのかなア」——小学生のころ、学校のかえりに道玄坂《どうげんざか》の途中を百軒店《ひやつけんだな》へ折れると近道だったから、狭い道路の両側にギッシリ並んだカフェのことは、いくらかは知っていた。戸口に細長いカーテンをたらした内側のことは、とおりがかりに覗《のぞ》いただけではわかりっこなかったが、それでも白いエプロンを胸から掛けた女が、さっきの勝子みたいな声で笑っているのや、赤い顔をした兵隊が二三人づれで、そんな女と縺《もつ》れ合いながら出てくるのにぶっつかったりすると、中の大体の様子はわかった……。しかし、そんなところに坊さんが這入りこんでいるのは見たことがないし、ことに伊藤さんが剃りたての頭を振りふり、そんなところへ行っているとは意外だった。 「おもしろいのかなア」僕は伊藤さんの丸い頭を見下ろしながら、また訊いた。そういえば伊藤さんの頭はなるほど黄色い。きっと頭の地肌も、どんぐり色をしているからだろう。僕は昼間から酔って真赤になっていた兵隊の顔と、眼の前の伊藤さんとを憶いくらべた。兵隊はホックをはずした軍服の襟《えり》もとから白い布をたらしており、それは何となく斬られた首を白いホウタイで巻いてとめてあるように見えた。きっと、あそこでは何か痛いたしい、血なまぐさいことが行われているにちがいない。しかし、そういうことと伊藤さんの黄色い頭とは、一体どうつながるのだろう? すると、伊藤さんがぽつりと言った。 「つまらんよ。こんな恰好で、どこへ行ったって、わしらは誰も相手にしてくれやせん……」   不許葷酒入山門  このお寺にも、そう書いた石が石段の上り口に立っている。生ぐさいものやお酒はこの中では食べたり飲んだりしてはいけないという意味だと、僕は国語の時間にこの保成倫堂先生から教わった。その時、先生は頬にうす笑いをうかべていたし、僕らも先生が笑うのはあたりまえだと思っていた。——しかし、なぜあたりまえだと思ったのだろう?  方丈さまがやって来て、おひるの御飯になったとき、奥さんがカレーライスの皿をはこんできたのを見て、先生は、 「おとうさん、これはインドの料理ですよ。インドのものだから、かまわないでしょう」と方丈さまの顔をうかがいながら言った。方丈さまは、ちょっと何か言いそうにしたが、そのままサジをとって不興げな顔つきで、その黄色い汁のかかった御飯をくちゃくちゃに掻きまぜながら、シワだらけの口にまずそうに入れた。しかし先生が方丈さまの顔色をうかがったのは、じつは「不許葷酒入山門」に遠慮したためではない。単に方丈さまが、ふだんからカレーライスを嫌いだからだ。方丈さまはライスカレーは嫌いだけれど、お酒は朝から飲んでいる。朝飲んで、十時に飲んで、昼飲んで、三時に飲んで、夕食に飲んで、そして寝るまえにも飲む。だから方丈さまは、いつもそのガバガバとこわばった衣に包まれた体から、ねっとりと重苦しい酒の臭いを漂わせている。それなのに先生は、ライスカレーの皿を捏《こ》ねまわしている方丈さまのそばに坐って言いつづけるのだ。 「寺も、このごろは様子が変りましたよ。こんどできた築地《つきじ》の本願寺をご存じですか。鉄筋コンクリートで内も外もすっかりインド式ですよ。寺の建築ばかりじゃない、何だってどんどん変って行きますよ」  先生がどういうつもりで、そんなことを言うのか、僕にはわからない。先生はお坊さんでも、奥さんもいれば子供もいる。先生のお父さんは方丈さまで、方丈さまは子供のじぶんに田舎のお寺で修行したが、そのころから声がよくてお経がウマいので、だんだんに出世していまでは東京でここのほかに、もう一つ小さなお寺と、もう一つはここよりもずっと大きくて新しいお寺と、全部で三つのお寺をもってくらしている。こういうことはお寺の建物がインド式になったりアメリカ式になったりということより、ずっとまえからあることなのだ。それなのに、なぜ先生はライスカレーのことばかり気にするのか。坊さんがお嫁さんをもらったり、出世してお金をもうけたりするのがあたりまえのことなら、肉がちょっぴりだけ入っているライスカレーを食べることぐらいは、もっとアタリマエのことではないか。  学校には内田という、神主で国史をおしえている先生もいる。この人の家にも出来の悪い生徒が何人かあずけられているが、僕とちがって彼等は「マッコウくさい」なんて、からかわれたりすることはない。いや、保成先生のことは生徒はかげで「和尚さん」といくらか馬鹿にした調子で呼ぶが、内田先生のことは誰も「神主さん」とは言わない。同じ宗教を職業にしていても、神道と仏教とでは、どこがそんなにちがうのか。坊さんにインチキなところがあるとすれば、神主にだってイカサマなところがあるはずだし、お寺にくらべてお宮の建物が明るいということもない。それなのに坊さんの先生だけが、どうして馬鹿にされるのか。休み時間には教員室よりも柔道場にいることが多い内田先生は、黒帯をしめた白い稽古衣《けいこぎ》がよく似合って、それだけでも撫で肩の体に旧式のセビロを着た保成先生よりエラそうに見える。しかも見た眼のちがい以上に、この二人の先生にはちがったところがある。それは神主の内田先生が何かというと生徒をブン殴るのに、坊さんの保成先生は誰のことも決して殴らないということだ。神さまは殴るが、仏さまは殴れない——、要するに、これが僕の見た仏教と神道のちがいだ。ところで僕がフシギにおもうのは、殴る内田先生はそのことでかえって生徒に人気があり、殴らない保成先生は何となく陰気な人のように思われていることだ。内田先生が誰のことでも殴るのは先生が公平な人だからだ、それは保成先生のようにイヤ味な文句ばかりならべられるより、よっぽど好い、と言うのである。やたらに人を殴ることが、どうして「公平」ということになるのだろう? けれども保成先生のお説教を聞かされるより殴られる方がマシだというのなら、そうかもしれない。保成先生は生徒を叱るときでも、方丈さまにライスカレーの言い訳をするときの調子で、遠まわしに何を怒っているのかわからない怒り方をするからだ。  わからないことがある——。僕は買い食いのクセがついた。学校からの帰りみち、僕は菓子屋へよって甘ナットウを買った。なぜそんなことをするのか。子供のころから僕は甘い菓子がきらいだった。好きなのはウデ玉子とバナナだ。ウデ玉子は弘前《ひろさき》から東京へ引っ越したとき汽車の中で弁当のかわりに十七個食べた記録がある。バナナは小学六年のとき、いっぺんに十三本食ったのが最高だ。一人ッ子の僕には、きめられたオヤツなどはなかったし、母は「好きなものなら、いくら食べさせても大丈夫」という主義だった。事実、嫌いなものでなければ僕は、どんなにたくさん食べても、吐いたり、腹を下したりはしたことがない。寺へ来てからは、出入りの棟梁《とうりよう》や植木の職人などと同じように、僕はオヤツをあたえられる。学校からかえると、女中の勝ちゃんが台所の煉炭火鉢で、六つに切った松の葉の焼き形のついたマンジュウをあぶっている。はじめのうち僕は、それが仏壇の上にあがっている葬式マンジュウだとは知らなかった。ただ毎日きまって同じものを出されると、切り口のアンが白く乾いたのを見ただけで、もう口の中じゅう煉炭のキナ臭いにおいでいっぱいになりそうな気がする。 「たまには甘ナットウか、水ようかんでも食べてみたくなるわね」  奥さんの眼を盗んで勝子は、焦げ目のついたアンコをまずそうに食いちぎりながら言った。 「うん……」  水ようかんも甘ナットウも、たいしてうまいとは思っていない僕は、あいまいにこたえた。すると勝子も、煉炭火鉢のまえで立て膝した脚を崩しながら、僕の方を向いてあいまいに笑った。桃色の歯茎と白い前歯のすきまにアンコの黒いつぶが覗いてみえる。唾《つば》にぬれて黒く光っているアンコの小さなかたまりが不意に、僕にあることを連想させた。——あれを舐《な》めたら、きっと甘いだろう、僕は心の中でツブやいた。けれどもそれは葬式マンジュウのアンとはちがった種類の甘さにちがいない——。  もっとも僕は菓子屋の店先きで別段、そんなことを憶い出したりしてはいなかった。とおりがかりに、ガラスの壺の中で白い粉をふいている甘ナットウを見かけると、何となく店の中へ入ってしまったのだ。黒いの、白いの、アズキ色の、茶の、みどりの、と甘ナットウにも、いろんな種類があるものだということを、その時はじめて知った。僕は一番ありふれたアズキ色のを買った。店を出ると、急に僕はバクダンでもかかえこんでいる気になった。親に黙って物を買ったという経験は、これが最初というわけではない。思いついたものを途中で買って、あとでそれを母に話す。家にいるときなら、それでよかったわけだ。しかし、いまはそうは行かない。こっそり買った菓子を、先生や奥さんに見つけられては具合が悪い気がする。みちみち僕は追われる気持で紙袋から甘ナットウを頬ばった。——どんな味がしただろう? うまいとは思わなかった。といって、まずくもなかった。ただ口の中が重苦しく甘ったるいものでいっぱいになるたびに、僕は沸き立つ欲望に胸を突き上げられ、怖さといっしょにそれを呑《の》み下した。とうとう寺にかえりつくまでに大半たいらげて、紙袋の底の方にいくつか残ったやつを、あとで勝ちゃんにやった。「ありがとう」と彼女は袋の中をのぞきこみ、「あら、これはウズラじゃないの、本当においしいのはソラマメなのよ」と言った。すると僕は、なぜかこの女にダマサれたような気がした。  それ以来、僕は毎日、菓子屋へよるようになった。勝子に言われたソラマメの砂糖漬《さとうづけ》も買った。なるほどそれは、うまいといえばうまいようだった。要するに、だんだん食い物の味がしてきた。もう勝子に残してきてやったりはしなかった。かくれてものを食うことが平気になったからだ。夜、寝床にもぐって甘いものを食うことは、僕に赤ん坊のころを夢みさせる。何も見えない真暗なところで生温いものに包まれながら、お乳を吸った記憶は、きっとまだ体の中のどこかに残っているにちがいない。口の中の舌や上アゴが甘いにちゃにちゃしたもので溶けてくっつきそうになると、頭のシンがどんより重くなり、汗ばんだ手や脚がぐにゃぐにゃしてくる。体全体が熱っぽく、閉じた眼蓋《まぶた》の向う側に、灰色をした波のような帆のようなものが浮んで、ゆっくりとうねりながら近づいては消える。突然、胸苦しさがやってくる。とおくで灰色にうねっていたものが、ヒダヒダのいくつもある洞穴《ほらあな》の壁に見え、僕は底の方へ体ごと吸いこまれる。桃色をした歯のない歯茎が、ぽっかり黒い口をあけて眼の前にせまり、僕は身動きもならず、その口の中へ呑みこまれる。声もたてられない怖ろしさで、胸のドキドキするのが体じゅうに反響する。……耳の穴の奥の方で、バリバリと叩きつける雨のような、滝のような音が聞えて、眼がさめる。  あれは勝子のしょうべんの音だ。その音で僕は何の夢を見たのだろう。袖からまくれ上った白い二の腕や、しゃがみこんだ白い短い脚や、ひくひく蟇《がま》のお腹《なか》のようにうごく白い喉仏やが眼にうつる。けれども、そこから先に、その奥に何があっただろう。僕はイラ立たしく、それを追いもとめるが、眼が醒めたあとではもう想像のしようがない。  ばたん、と杉の板戸が閉まり、素足で廊下を踏む音が遠ざかる。残念、僕は無意識にいったん起きなおりかけるが、湿った綿の重いふとんに押しもどされて、そのまま体を横たえる。起き上ったって、その跡を追いかけて行けるものではないことがハッキリしすぎている。それよりも、あの夢はいったい何だったのだろう。あせれば、あせるほど憶い出せない。……この問題がとけるまでは帰ってはいけないと言われて、西日のあたる教室にのこされて算術をやらされたときのような気分だ。真黒に汚れたワラ半紙の帳面に向いあって僕は貧乏ゆすりばかりしていた。こんぐらかった頭では、もう何も考えることができない。それなのに、と思うと急に下腹がむずむずしてきた。僕は知らぬ間に股ぐらに手をはさみ、下から頭をもたげてくるものを懸命に抑えようとしていた。  一体これはどういうことなのか。僕は自分の体のこの異変が何のために起るのか理解できなかった。眼のまえには線のゴチャゴチャひかれたワラ半紙がある。何度も消しゴムでこすって書きなおしたものだから紙の表面はケバ立って、窓から射しこむ日に黄色く染まり、ケバケバの一本一本がうすぐろい影になって「時計の算術」をおおいつくしてしまっている。長い針と短い針とが重なり合って次に直角にひらくときは何時何分何秒になるのか? 僕にはその答は想いうかばず、まるで自分自身が歯車になってゼンマイの力で、ぐるぐると頭をねじ廻されている気持だ。しかし頭がねじ廻されることと、へその下が固くなってしまうこととは、どういう関係があるのか。これがどうやら僕一人に起っている問題でないことを悟ったのは、中学へ入って最初の夏休みに千葉の海岸の学校の寮へ行ったときだ。昼寝の時間にタオルの夏掛けをかぶって仰向けに寝ている一人を指さしながら滝村が言った。「おい見ろ、あいつを。テント張りだ」  みんなが笑うのにつられて僕も笑った。しかし心の底では腹立たしかった。この時も僕は滝村には何も言わなかったが、滝村の皮肉で意地悪な眼は僕のズボンの中までハッキリ見透しているような気がしたからだ。うっかりヘタなことを口出しすれば、この僕までいっしょにカラカワれるのがおちだ……。それにしても「テント」は何と奇妙な滑稽なかたちをしているのだろう。それに何としばしば不意打ちにやってくるのだろう。それは教室の中でやってくる。電車の中でやってくる。ひとの大勢見ているところでやってくる。滝村に言われるまで僕は、テントになることがそれほど恥ずかしいことだとは気がついていなかった。それは僕にとって、ただ非常にイライラして頭が熱くなり、爪でガラス板を掻《か》いているような心持になるだけのことだったからだ。だが滝村にそのことを言われてからは、心の一番奥深く秘密にしまってあるものがイキナリ、体の外側へ跳び出してしまうことなのだということがわかった。そして、そう気がついてからは、これまでよりもずっとたびたびテントになるようになった。朝、電車で腰を下ろしていると、あと二つ目で学校の駅だと思うころから、僕は落ちつかなくなってくる。窓の外を眺めようとしても、網棚や吊《つ》り革の揺れているのを見上げても、そんな努力はテントをなおすためには何の役にも立たない。前の座席に、口髭《くちひげ》をのばした黄色い顔の人が、古い革カバンを膝にのせたまま、さっきからジッと眼をつぶっている。せめて僕にも、あんなカバンがあってくれたら……。とうとう駅に着く。扉がひらく。僕は前かがみになって突進し、人波にかくれてようやく外へ出る。気がついたときにはテントはおさまっているのだが、この微妙なからくりが、どうしても自分にはのみこめない。こんなに簡単になおるものなら、なぜ電車の中で席を立つまえになおってくれないのか。S高女の生徒が二三人、ヒダに折り目のついたスカートを揺らせながら、僕を追いぬいて行った。まるで洗いたてのハンカチみたいなにおいをさせながら、さっさと行ってしまう彼女たちを見送って、僕は自分だけが苦しめられている不公平を恨みたくなる。こんな変につっぱったものがないおかげで、女は余計な恥をかかなくてもすむのだ。  どんなときにも公明正大な気持でいられるというのは、きっと素晴らしいことにちがいない。しかし、それは僕らにテントがあるかぎり、望んでもダメなことなのだ。さっき僕のまえに坐っていた黒い髭をはやした黄色い顔の人、あの人にだってテントはある。和尚《おしよう》さんにも、ブルドッグにも、それはあるにちがいない。ひとのテントを嗤《わら》った滝村には勿論《もちろん》ある。しかし、そんなことが僕には何の慰めにもならなかった。他の人が、いつどこでどんな風にテントになるかなどと考える余裕もなく、僕は自分がテントになるというだけで完全に悲観し、そのたびに言いようもない後暗さにひたされてしまうのだ。  こんなときにこそ例の「お祈り」をするべきだったかもしれない。しかし、せっぱつまって銭湯の便所に駈けこむときの真剣さが、どういうわけか僕には湧《わ》いてこなかった。それどころか、ひと気のない本堂でカビの臭いのする空気に包まれると、かえって僕はテントの気分を誘われてしまう。ことに荒れはてた弁天堂へ入ると一層そうだった。皮の破れた太鼓の下にねずみ色に褪《あ》せたふとんが敷いてあり、天井からはほこりにまみれて色もアヤ目もわからない幕が何枚も垂れ下っていて、そんな汚らしいものが、ふと奥に何か秘密のものが収《しま》ってありそうな気を起させる。うらへ廻ってみたところで、古いムシの喰《く》った穴だらけの板が棚になって並んでいるだけだということはわかっている。手も足も縛り上げられたお姫様がサルグツワを噛《か》まされたまま、壇のうしろに隠されてあるなどという道理は絶対にない。しかし何もないということ、アテもないということが、僕をますますテントにさせることになるのだ。イライラと胸をしめつけられるような、頭のしびれるような不快さの中で、僕はさがしたって見つかるはずのないものを、やたら無性にさがし求めた。  教室で僕は、もう祈ることさえやめてしまった。祈らなくたって、めったに当てられる心配はなくなったからだ。ブルドッグをはじめ、どの教師からも僕は相手にされなくなった。ただ、ときどき気まぐれのように殴られることがあるだけだ。殴られるだけの理由は、ある時もあれば、ない時もあった。しかし僕は別段そんなことは気にとめなかった。どっちにしろ、それは一時の辛抱ですむことだからだ。教師たちばかりでなく、クラスでも僕は誰ともつき合わなくなった。滝村から「抹香くさい」と言われたこともだが、それよりも僕は自分が面白い遊び相手になれっこないことが自分でもよくわかったからだ。ひまな時は校庭のはずれにある屋内プールのギャラリーに腰を下ろして、消毒薬のまじった水の臭いをかぎながら、白い天井にうつる青ぐろい水の波紋をながめていた。  泳いでいるのはたいてい、ことし入った一年生たちばかりだった。僕らもここで去年は、よく Golden Touch という遊びをした。むかし貪慾《どんよく》な王様が自分の触ったものは何でも金にかわればよいという願いをたて、それがかなえられたばっかりに、うっかり触れた自分の娘が金の像になってしまったという話をブルドッグの英語の時間に教わった。「じゃ、おれたちのあそこも王様がさわったから金になったんだぜ」と誰かが言ったことからはじまった遊びだ。「ゴールデン・タッチ!」と号令が掛かると、みんながいっせいにプールに跳びこみ、狙いをつけた一人の褌《ふんどし》をはずしてサイドにほうり投げる。すると投げられた生徒は前をかくして這《は》い上りながら、次に号令を掛ける番にまわる……。こんな遊びをしなくなったのは何時《いつ》ごろからだろう。秋のおわり近くなると水温は一年じゅう同じ温度にあたためられていても、すぐに上って風呂の湯につかることの方が多くなり、結局は誰もがプールに近よらなくなった。しかし春になって暖くなってからでも、みんなはもう泳ごうともしない。なぜだろう? この遊びを最初にぬけたのはクラスで一番背が高くて、色の白い沢井だった。「沢井がなぜやめたか知ってるか、あいつ、もうザッソウが生えていやがるんだぜ」と滝村がみんなに言いふらした。そのときの途方にくれた沢井の顔つきを僕は、ただ滑稽だとおもった。しかし、それから間もなく滝村自身がこの遊びをやめた。滝村は僕を地下の食堂の横のものかげに呼んで、「おまえだって、もうそうなんだろう。え、言えよ」と、なにかキツネ火の燃えるような眼つきで、うす笑いをうかべながら、ささやいた。「まだだよ」僕ははじめてこの男に復讐《ふくしゆう》できたことのうれしさと、誇りとでいっぱいになりながらこたえたことを憶えている。だから、それから二た月ばかりたって、自分の家の風呂場でそれを発見したときの僕の狼狽《ろうばい》と落胆は、たぶん人一倍だったにちがいない。はじめのうち僕はそれがうぶ毛の一種だと信じこもうとした。それが出来ないとわかってから半分、絶望的な気持でカミソリでぜんぶ剃《そ》り落した。このことは、やがて誰もがザッソウのことを気にしなくなってからも、やましい気持になって残った。  屋内プールの中で、一年生たちのカン高い叫び声はまだつづいていた。壁や、天井や、くろずんだ栗の木立ちの葉をうつしているガラス窓に反響するその声をききながら、僕は自分がひどく年とった気持で、ギャラリーのベンチからのろのろと立ち上る……。いつまでも学校に居残っていたってしかたがない。しかし、お寺へかえることを考えるのは、なおさら憂鬱《ゆううつ》だ。暑くなるにつれて、昼がながくなり、黄色い日に照りつけられた長い石段を上って行くとき、僕はこの石段がどこまでも永遠につづいてくれたら、と思うのだ。石段を上りきって、そこに待ちかまえているのは、ただ言いようもない退屈さがあるだけだからだ。僕は勉強をするためにお寺へやらされた。だから勉強をしさえすれば、この退屈からは逃げ出せるわけだ。だが、いったい勉強とは何を、どうすることなのだろう。伊藤さんのように、眼をつぶって百人一首を暗誦することだろうか。そんなことをやってみて、いったい何の役に立つだろう。伊藤さんは汚れたセルの着物をきて、きょうも一昨日剃った頭がのびかけているのを気にしながら、竹箒《たけぼうき》でお寺の庭をはいている。いくら掃いたって、このお寺の庭にはジャリだの、コンクリートのかけらだの、曲った針金だのが、紙くずといっしょに散らばっており、それを全部とりのけたところで、下から赤土と泥とが出てくるだけのことだ。……そんな庭を、「こんな頭でカフェへ行ったって、もてやせん」などと考えながら、いつまでも掃きつづけている伊藤さんのことが、僕には理解できないのだ。そうかといって納戸の奥の便所の臭いのいっぱいにこもった部屋で、古いムシの喰った机の前にじっと坐っている気にもなれない。  この家で退屈しているのは僕だけではなかった。倫堂先生もまた退屈していた。学校でも和尚さんの授業が眠いことは定評があった。西日の当る午後の教室で倫堂先生は、「十八史略」をまるでわざとのようにお経のようにつながった声で読み上げるのだ。その声を聞いていると僕は、先生が何事もあきらめろと言っているような気がしてしかたがない。ころもを少しツンツルテンに着て本堂と庫裏の間を、ぽくぽくした白足袋で擦《す》り足に往復している先生の姿が眼にうかび、そのたびに先生の「退屈」が体じゅうの毛穴をとおして、こちらの体につたわってきそうに思えるのだ。朝夕のお経を上げるほか、お寺で先生はほとんど坊さんらしい仕事はしていない。檀家《だんか》の名前を書きつけた分厚い帳面に、何か書きこんだりハンを押したりするのは、主に奥さんと、一日に一度はあらわれる方丈さまの役目だ。その和とじのケバ立った帳面に何が書いてあるのか、無論僕はしらない。ただ茶の間で方丈さまが、腕に籐《とう》の籠をはめた手で盃《さかずき》とペンとを交代に取り上げながら、熱心にその帳面をのぞきこんでいるのを見ると、僕は倫堂先生が退屈している理由がわかる気がする。結局、先生が一番かいがいしい様子になるのは、日曜日に本堂に子供をあつめてピアノを弾くときだろう。これだってじつは、このお寺の前の住職だった人がやっていたことを、そのまま受けついでやっているのだということだが、それでも先生は子供たちが劇をやるからと、白粉《おしろい》を塗ってやったり、衣裳《いしよう》につかう冠を銀紙でつくってやったりして、 「ああ、いそがしい。こう忙しくちゃ、やりきれねえ。いや、槍は切れねえ突くものか」と一人でそんなことを言って、うれしそうに笑ったりするところは、ふだんの先生とは別人のようだ。  お坊さんというものは、誰でも倫堂先生のように退屈しているものだろうか。そうかもしれない。しかし先生の親戚《しんせき》の坂崎さんという人などは、そうでもなさそうだ。黒いロイド眼鏡をかけた坂崎さんは鎮海《ちんかい》さんという僕より三つほど年上の小坊主をつれてやってくると、台所の横の茶の間に上りこんで柱によりかかるように腰を下ろし、奥さんが「お座敷の方へどうぞ」とすすめるのに、 「いや、こっちの方が好いんですよ。この方が落ちつくんです、われわれプロレタリヤはね……」  と、出された座ぶとんを二つに折って尻に敷きながら大声に言って笑うのだ。そして落ちていた新聞をひろい上げると、「ほう、菊池寛《きくちかん》氏語る『麻雀《マージヤン》賭博《とばく》は国営にすべし』か。……ふむ、なるほど、いかにも菊池カンらしいや」と、また豪快に笑って新聞を窓の外に立っている鎮海さんの方に投げてやる。  僕には、そんな坂崎さんの言ったり、したりすることが、どういうことなのかわからない。ただこの人は倫堂先生のようには退屈していないと思うのだ。——うちの和尚さんは、なぜもっと大きな声でものごとをハッキリと言わないのだろう? 坂崎さんと向いあって、うつ向き加減にうす笑いをうかべたまま、黙ってアイヅチを打つように首を振っている倫堂先生を見ていると、そう思う。たとえば先生が、もし坂崎さんのような人なら、なまけている僕をもっと強く叱るだろうし、そうすれば僕も勉強しないわけには行かなくなって、こんな退屈から脱《ぬ》け出すことができるのではないだろうか……。和尚さんは、ときどき想いついたように僕を部屋に呼びつけて「さ、吉松、ここへきてわたしといっしょに勉強するんだ」と言う。しかし、じつは和尚さんのとなりに机をならべると僕は、どうしてか、ますます落ち着かなくなり、頭の中がぼんやりして、やがて眠くなってきてしまうのだ。緑色の笠をかけた電燈の下で、首筋のくぼみに濃い影をこさえながら、さっきから古ぼけて紙の黄色くなった本のページに眼を落している先生をみていると、僕はだんだんとカスんでくる頭の中で、叱られないことを徳としながら、一方ではある言いようのないイラ立たしさを感じる。ちょうど、ぼんやり歯が痛みはじめるとき、かえってウンと痛くしてみたくなるような、また、とれかかったカサブタを掻きむしって血を吹き出させてみたくなるような……。  このイライラした感じがどこからやってくるものかはしらないままに、とうとう僕は自分からその中に溺《おぼ》れこんでしまうようなことをした。その日も僕は学校からかえってくると、机に向う気になれず、散歩に出ようとした。どこへ行くのかと、女中の勝子が訊《き》いた。彼女は、れいによって僕が菓子を買いに行くつもりだと思ったのかもしれない。その探るような眼つきが腹立たしく、僕はわざとブッキラ棒にこたえた。 「まわりを、ぶらっとして来るよ」 「そう。じゃ、ついでに坊やもつれてってやってくれない。いま乳母車の用意をするからさ……」  まぶしそうに眉《まゆ》をひそめながらウス笑いをうかべてそう言う勝子の顔を、僕は見返した。——この女につけこまれるのはシャクだったが、言われてみれば、ただブラブラするよりは何か用事らしいことをする方が、いくらかでも気分にハリ合いがある。で、僕は坊やのお守りを引き受けてやることにした。出掛けようとすると、「吉松、あたしもよ」と四つになる女の子の房江もついてきた。 「よし行こう」  僕は子供の手をひいた。本当は、このこましゃくれた子供は苦手だった。吉松、と姓を呼びつけにするのは倫堂先生の口真似だが、無邪気なだけに、どうかするとそれは僕の心を傷つけた。しかし、いまはそんなことに腹は立たない。どうせ女中のかわりに子供のお守りをさせられている。 「いってらっしゃい」自分が出掛けるときにもそういうものだと思っている房江は、僕の手をにぎって跳ねながら言った。 「いってらっしゃい。気をつけてね」 「ああ」  気をつけようにも、それほど遠くへは行けはしない。頭の上から日が照りつけて、ほんのしばらく行くうちに、もう乳母車のハンドルをにぎった手の中に汗が湧いてきた。お寺は丘の上にたっている。裏手に小さな墓地があり、その地続きはゆるく傾斜した野原で、だらだらと下った先が崖《がけ》になって、すとんと落ちている。屋根と屋根とのくっつきそうな混《こ》み入った家並みの向うに、うねうねと黄色い泥水のドブ川がながれており、川に囲まれて「サンギョーチ」と呼ばれる一区画がある。どうして、そう呼ばれるのかは知らないが、そこまでがこのお寺の地所で、方丈さまはれいのケバ立った分厚い帳面にハンを押しながら、ときどきそこの地代がどうなっているのかと奥さんに訊いている。どっちにしろ僕には、その一区画だけがまわりと違って何となく玩具《がんぐ》じみて見えるのが面白かった。ドブにそってひょろひょろと立っている柳の並木も、窓に色とりどりのふとんを干してある家も、その奥に四つん這いになって廊下を拭いたりしている人たちのコビトみたいな動作も……。それは脱衣場と便所に挟《はさ》まれた銭湯の箱庭に何と似ていることだろう。川向うの鋳物工場の煙突から流れる油煙のにおいと、工兵隊のラッパの音が、熱っぽい風にのってやってくる。そのとき、 「おしっこがしたい」と房江が言った。 「どれどれ」  僕は房江を草むらへつれて行き、濡らさない用心にパンツをはずしてやった。房江は股《また》をひらいてしゃがみながら、僕の顔を見上げた。切りそろえたオカッパの頭の前髪ごしに黒い瞳《ひとみ》のみひらかれたのを見ると、不意に僕は自分がこの子の使用人から保護者であり支配者である位置に変ったことを感じた。僕はしゃがみこむと心の中で、「自分はまだ子供なんだ」とツブやいた。「子供である以上、子供のする遊びをしてはいけないという理由がどこにある?」——僕は紙を出して彼女の股を拭いてやりながら、小学生のころ近所の子供たちが草原で一人の女の子をかこんでやっていた遊びを想い出した。あの種の遊びに加わったことのない僕は、彼等が何をやっていたのかはしらない。ただ、青い顔をした女の子のまわりにクスクスと笑い声をたてていた連中が、ときどき発する叫び声を断片的に憶《おぼ》えているだけだ。——「とどいた、とどいた」。——「痛がらないのか」。——「何だかへんなものがくっついてきたぜ。ちえっ、くせえ!」。——こんな言葉が水色の空気をよどませた草原の窪地《くぼち》から聞えてきた。そして、いま僕はその声を自分の耳の中できいた。すると、手はひとりでにうごいた。構造についての興味、理科の実験で生きたカエルの解剖をやらされたことがあったっけ、白い皮膚の裂け目から血だらけのアブクを吹いていたカエルを何疋《なんびき》も、穴の中へほうりこんで上から土をかぶせた……。突然、女の子が顔をしかめて叫んだ。 「こわいよ!」  僕は本能的にうしろを見た。誰かが立っていやしないか? そうではなかった。赤ん坊を乗せた乳母車が斜面を崖に向って動き出しているところだった。僕は走ってそばへ行き、車をおさえた。しかし、泣きやんだ房江の顔をみると、ふと先刻、顔をしかめた彼女が美しかったと思い、もう一度観てみたい欲望にかられた。そして、つかまえていた乳母車をわざと荒っぽく、崖の落ちぎわに突き出した。……それは目のくらむような光景だった。恐怖のあまり女の子は動けなくなって、パンツをはずした肌を強い日光にさらしたまま、顔を真赤にして泣き叫んでいるのだ。すると僕は、あのイライラして頭のシビれてくる状態になった。……墜落寸前で車をおさえながら僕は何度も同じことをくりかえした。そしてやるたびに興味をおぼえた。僕は、帰ってから女の子が両親に言いつけはしないだろうかということが心配だった。しかし、その心配はかえって興味をますます強めることになった。僕は散歩の時間ぎりぎりまで、その冒険をたのしんだ。  いったい何がそんなに面白かったのか。あくる日から毎日、僕は女の子をつれた散歩を欠かさなくなった。さすがにもう無邪気でそんなことをやっているのだという弁解は自分自身に対してさえ役に立たなくなっていたが、悪いと知ってもやめるわけには行かなかった。それにしても本当に、あんなことの何がそんなに面白いのか。女の子の隠しどころを、くわしくしらべてみるということは、それだけではどんなにくわしくやってみたところで、あたらしく珍しいものを見つけ出せるというわけではない。散歩からかえって夕食のお膳《ぜん》に向うとき、僕はそう思ってはげしく後悔する。ただ、その後悔は決して長続きはしないのだ。寝るまえに、明日からもうあんなことはするまいと誓っても、あくる日になると僕はまたもとのとおりになり、午後の漢文の授業をきくころには、はやくお寺へかえって房江と散歩に出掛けたいという気持がつのって、眠気をもよおすどころではない……。和尚さんは相変らず、れいによってお経を読むような口調のダミ声で「十八史略」を棒読みによみあげている。すると強い日射しが大きな窓ガラス一面に照りつける教室に突然、いたたまれないほどアリアリと、パンツをはずした女の子の肌が想いうかぶのだ。細い金縁眼鏡の底に眼をどんよりとさせた和尚さんの機械的にうごいている唇が、なまなましい真赤な色にうつり、単調な声が耳もとに波のうねりのようにひびくと、僕は頭のシンが熱くなり、ズボンはひとりでにテントになる。そして、この退屈な時間がただの一分、ただの一秒でも速くたってくれることを祈るのだ。  このごろでは、もう房江は僕が散歩につれて行くことがどういうことか、子供ごころに承知していた。僕は乳母車に赤ん坊をのせて行くこともあったが、もうそれも大して必要なことではなかった。目立たない、ひと気のないところへくると、房江は僕の顔を見上げて、「おしっこ」と言うのだ。  僕は女の子の浴衣のすそをからげてやり、まるで手持無沙汰の人のような様子をつくろって彼女の用がすむのを待つ。足もとの地面が、ほんの少しだけ黒く濡れる。薊《あざみ》の花のほそい茎に小さな水滴が光り、そのまわりにアリが一二分で渡れてしまうほどの水溜《みずたま》りができたかと思うと、もうおわりだ。 「それだけ……。もういいの?」 「…………」  女の子は返辞するかわりに黙ってうなずく。僕は不意にソラ恐ろしくなった。房江の眼は笑いながら僕に向って、あきらかに訴えているからだ。僕は一瞬、戸惑い、次に言いようのない恥ずかしさと、他人に踏みこまれたときの狼狽を感じ、いつものように拭いてやることができなくなって、畳んだチリ紙をそのまま彼女にわたしてやった。すると女の子はしゃがみこんだまま、笑ってもう一度、僕の顔を見かえすのだ。その、眼と眼のひらいた、眉間《みけん》にうすく静脈が浮き出してみえる顔からはもうすっかりおさなさが消えた。僕はもはや、おずおずと彼女の前にしゃがみこんだ。だが、どうしたことか、眼をしっかりと正面に向けていることができない。ゴム毬《まり》のようなお腹《なか》の下の方が皮膚をつまみ上げた襞《ひだ》になっており、その裂け目のところはザクロの実のように赤い。だが、その赤いものの中にはいったい何があるのか? 眼をこらすうちに、頬がほてり、息が苦しくなって、逃げ出したくなる。しかし、こうなると僕は実際には逃げ出すわけにも行かなくなるのだ。なぜなら房江がもうこんなに心得きった態度をしめすからには、もしこのまま彼女の要求に応じないでいると、かえってこのことを両親に言いつけられるかもしれないではないか、ちょうどアメをねだった子供が、そのねがいをかなえられないと、家へかえって母親にその不満を打ち明けるように——。  夜になると、僕は地獄に堕《お》ちることを考えた。むかし家にいた女中が言った。「男の子と女の子が、親の言いつけもきかずにコソコソといたずらしてると、死んでから地獄へ行かされるんです」  地獄とは一体どんなところか? 針の山、火の山、首から下を牛や馬の体に変えられてしまった悲しげな人たち……。僕は無論、そんなものは女中の話と同様に信じる気にはなれない。僕の考える地獄は、もっとぼんやりしたトリトメのないものだ。たとえば眼をつむると、一列に並んだ電燈がどこまでも遠く連らなっている。そんなものがなぜ地獄なのか、自分でもよくわからない。けれども、それはたしかに地獄なのだ。その証拠に僕は、そのつながりながら遠くへだんだん小さくなって行く灯《あか》りを見ていると、こたえられないほど心細く、さびしくなってくる。行くすえが怖《おそ》ろしい。——ともかく、何も知らない女の子を誘惑して悪いクセをつけさせることは、もうこれ以上つづけてはいけないと僕は思った。そのためには、なるたけ房江と顔を合せないように晩ご飯ちかくまで、どこかで時間をつぶしている必要があるわけだ。道草をくうために何をすればいいのか。僕には遊戯の方法も気持の取り扱い方と同様、見当がつかない。欲望を他にふり向けるためにマーケットの前にある、一銭入れると玉が出て、それを「ホームラン」や「アウト」の穴へはじき込んでアメを出す機械の箱に向ってみる。また、甘ナットウの他に、これまで食べたことのないノシイカだの、ネジリン棒だの、砂糖をしませたニッケだのを買って口に入れてみる。それから、「岩見重太郎」、「野狐《のぎつね》三次」、「譚海《たんかい》」、「のらくろ」、といった小学生のころには読む機会のなかった本も買う……。それらのことに僕はそれぞれ一応の興味をもった。けれども駄菓子の黒砂糖のまじったヨダレをのみこみながら、度ギツい色の本を読むことは、僕の感情をやわらげるどころか、ますます昂《たかぶ》らせた。  僕は小遣い銭を豊富にもらっているわけではなかったから、それらのものを買うのに学校へおさめる校友会費だの昼食の給食費だのを流用した。それは、ほころびたポケットの穴がだんだん大きくなって行くような毎日だった。最初、僕は簡単に母親から臨時の小遣いをもらい、それでアナうめすればいいと考えていたが、アナが大きくなるにつれて僕の考えは現実から遠くなり、夜中にふと眼をさましては「北海道に働きに行って貯金してこよう」とか、「南極へクジラ捕りに行こう」とか、つぶやいてみるばかりだった。……そんな時、暗い眼蓋《まぶた》のうらにあの電燈の行列が不意にキラキラかがやきだすのだ。すると僕は、わけもなく背筋が冷くなってくる。  一体それは何だろう、何から憶いついてそんなものを考えたのだろう? いつか伊藤さんが話してくれたことがある——。むかし一人の旅人が曠野《こうや》を横切ろうとしていると突然、荒れ狂った象が襲ってきた。果てしない草原には逃げ出そうにも、隠れる場所がない。だが恐ろしさのあまり夢中になって駈けていると、ふと草むらの中に古井戸があった。井戸には藤蔓《ふじづる》が一本、垂れ下っている。天の助け、とその男は蔓をつたって井戸の中におりた。おそろしく深い古い井戸だ。上を見ると狂った象は牙《きば》をむいて覗《のぞ》きこんでいる。しかし目方の重い象ではここまでは降りてこられないだろう。ほっとして旅人は井戸の底をみた。すると底に水溜りのように光っていたものがうごいた。それは大蛇で、口を開いて旅人の落ちてくるのを待っていた。周囲を見廻すと、井戸の内壁にはぴっしりと毒蛇がからみついて、こちらを狙っている。それも前後、左右に何疋もいるのだ。たのむのは、たった一本の藤蔓だけだ。しかしその蔓も、よく見ると上の方で黒と白の二疋のネズミが、その根を齧《かじ》っているではないか。男はアキラメて眼を閉じた。すると、その口に何か甘い汁が落ちてきた。藤蔓の根もとに蜜蜂《みつばち》の巣があり、そこから甘い蜜がポタリ、ポタリ、と彼の口に落ちかかってくるのだ。旅人はその一滴の蜜の甘さが口いっぱいにひろがるのを夢中になってしゃぶりながら、他のすべてのことを忘れた……。  伊藤さんが何で僕にこんな話をしてくれたのかはしらない。ただ伊藤さんが憂鬱そうに縁側の端に中腰になったまま、ぼそぼそした声でそんなことを話しながら、れいの薄黄色くのびかかった自分の頭を撫《な》でまわしていたことと、古井戸に吊《つ》り下げられた男が一生懸命舌をのばして滴ってくる蜜を舐《な》めようとしている有様だけが、なぜかしら頭の中にのこっている。……体の重味を両手にささえて、ときどきポタリと落ちてくる蜜の味はどんなだっただろう? こんなことになるぐらいなら、いっそ広い野原で巨《おお》きな象の脚にひと思いに踏みつぶされた方がマシだとはおもわなかっただろうか。僕なら、きっとそう思う。蛇は苦手だ。それもジュクジュクした古井戸の中なんかで、冷い鱗《うろこ》をねっとりと光らせている奴に、四方八方から囲まれたら、それだけでも生きた心地はしない。あの土色の眼をした、へんに退屈な躯《からだ》つきで、音もさせずに這い寄って、鳴き声ひとつ立てない動物に、じわじわと執念ぶかく絞めつけられたら……。だが、蛇に咬《か》まれるより象に踏まれる方がマシだったら、旅人はどうして蜂蜜なんか舐めていないで、蔓をつたって井戸の外へ出て行かなかったのだろう? 外へ出れば万に一つは助かる見込みもあるではないか。疲れ切ってそれだけの力もなかったのだろうか。それとも蛇に魅入られて身動きできなかったのかもしれない。いや、身動きできないというより、その旅人はふいに何もかもがメンド臭くなってしまったのではないだろうか。がんばって這い上ってみたって十中九分九厘までやっぱり死ぬのだとしたら、このまま蔓にぶら下って舐められるだけの蜜を舐めていた方がラクチンだ、と。  僕はそんなことを、とりとめもなく考えて、ふとんの中で身をくねらせているうち、房江のことも学校のこともどうでもよくなって、いつの間にか体がダルく、頭のシンが溶けそうにぼうっとしてくる。ことん、と音がしたように体全体が眠りの中にひっぱりこまれようとする。と、口の中で無意識にうごいていた舌の先に、ふと甘いものが触って、僕は思わずハッとなる。けれども、この甘さは旅人の口へ落ちた蜂蜜のように僕をすくってはくれない。逆に、何ともウンザリした気持にさせられる。舌の先にひっかかったのは、歯の間にはさまっている昼間食った甘ナットウの皮だからだ。  そんな、一体いつになったら終る時がくるのかわからないような日がつづいたある晩——。夕食がおわって一時間ぐらいもたったころだろうか、僕は自分の部屋で机に向っていた。納戸で、やわらかい畳が踏まれる音がしたかとおもうと、たてつけの悪い障子が背後できしみながら引っ張られて、僕は急いで机のヒキダシを胸で押した。ヒキダシの中にはページを開いた雑誌が入っており、机の上には教科書が並べてある。うしろから誰かが部屋にはいってきたときは、いつでもすぐに勉強していると見せかけられる仕掛けだ。……ちょうど、悪者に城の中に閉じこめられたお姫様がお風呂に入っている場面がサシエになっているところだった。その風呂場に悪い家老が用もないのにはいってこようとしている。僕には、この年とった家老が僕らと同じようなことをしようとしていることが不思議だった。家にいたころ僕は女中が風呂に入っているときを狙って、わざと忘れものをしたフリなどして風呂場へ脱ぎっぱなしにしたシャツなんか取りに行ったものだ。そのときのこちらを振り向いた女中の顔つきを、いまでもハッキリ憶えている。彼女は猿みたいに真赤になりながら、軽蔑《けいべつ》と憎しみの混り合った眼で僕を見据えた。僕は自分の図うずうしいことを棚に上げて、何か不当の侮辱をこうむった気がした……。ところで僕は、あわててヒキダシを閉めながら、一瞬いつもとちがった気配を背中に感じた。倫堂先生がこの部屋へくるときは、「吉松」とか、「周ちゃん」とか、すぐに僕の名前を呼ぶ。吉松と姓で呼ばれるのは叱られるときだし、周ちゃんと名で呼ばれるのは大抵、ちょっとした用事をたのまれるときだ。だが、いまはそのどちらでもない。煤《すす》けた障子を背にして立っているのは奥さんだった。痩《や》せて背の高い奥さんは薄暗い部屋の隅で、長くのびた影法師のように見えた。 「吉松さん。先生からちょっとお話したいことがあるそうです」  切れ長の眼に重く眼蓋のさがった奥さんの表情は暗かったが、そのひとことは、茶黒い畳と腐って落ちそうな低い天井とにはさまれたこの部屋の分厚く濁った湿っぽい空気をとおして、直接、僕の体のなかにはいってきた。 「…………」  僕は何か言葉にもならないような返辞をしながら、のろのろと立ち上った。古い、虫の喰った坐り机の上をダイダイ色の電燈が照らしている。その垢《あか》じみた、ねばっこい机のヒキダシの中に、立ちすくんだ裸身の少女と中腰にそれを覗きこんでいる裃姿《かみしもすがた》の家老とが、両ページ見開きの大きな絵になって入っていることを考えると、机のそばを離れるのは不安だったが、そんなことをかまっているヒマはなかった。——来るべきものが来たのだ、と僕は思った。納戸をあけて、便所の前をとおり、奥さんのあとについて真暗な渡り廊下をはだしの足で踏みしめながら、僕はまばゆい日の光のなかでパンツを剥《は》がした房江の皮膚の色を頭の中に焼き附けられてでもいるように想い起した。房江はすでに離れの八畳間の座敷に寝かしつけられていた。明りを消して障子を閉め切ったその部屋の横の廊下を歩きながら僕は、一メートルほど先を行く奥さんと寝しずまった部屋とにはさまれて、自分の体がこの黴《かび》と抹香《まつこう》の臭いのかすかにこもった空気の重味に圧《お》しつぶされそうな気がした。僕は前に立って行く人が房江の母親であることを、いまさらのように強く感じた。——「うちの子供にどんなことをしてくれたんですの」そう訊かれたら、一体ぼくはこの人に何と言ってこたえたらいいのだろう? これは後悔しているというのではなく、ただただ本当にマゴついてそう思うのだ。僕は自分のしたことがどんなことなのか、実際にわからなくなってしまった。もし女の子の隠しどころを見たいという気持が、そんなに強かったとしても、どうしてここの家の、たった四歳の女の子のものを見なくてはならなかったのか?——いや、本当はぼくは女の子のあそこなんか、ちっとも見たくなんかなかったのだ。それが見たいくらいなら、とっくのむかしの何年も前に、近所の子供と原っぱでお医者さんごっこをやっている。しかし、そう思う一方で日にさらされた房江の肌の色や、やわらかな肉を抓《つま》み上げた型のものが、あまりにアリアリと眼のまえに浮んで、そうなるとたったいままで自分の考えていたことが、てんから信じられなくなってくるのだ。  じつのところ僕が奥さんのあとをついて廊下を歩きながら考えたのは、ただ「何とかして、この場を逃げ出したい」ということだけだった。納戸の奥の僕の部屋から、離れの倫堂先生の書斎までは、そんなに遠くはなれてはいない。そして一歩一歩その部屋へ近づくにつれて、僕は自分のしたことがまるで爼板《まないた》の上にのせられた魚のハラワタかなんぞのように、はっきりと眼の前につきつけられるのかと思うと、それがやたらに怖ろしく、あれやこれやと他のことばかり一所懸命かんがえたのだ。しかしイヤおうなしに、それは一と足ごとに近づいてくる。  倫堂先生は、みどり色の深い笠をかぶせた電燈の下で、いつものように机に向っていた。つづりこんだ分厚い答案用紙がばらばらに置かれてある。この間あった漢文の臨時試験の答案にちがいない。先生は奥さんが障子をあけて中に入ると、いったん顔を上げたが、また不機嫌にうつ向くと赤インキをつめた万年筆をとって採点をつづけた。——先生は僕を殴るだろうか? 額の生えぎわの食いこんだあたりが汗で光っているのを見ながら、そう思った。——ものも言わずに頬桁《ほおげた》をはりとばされて、それで一切のことがおわってくれたら……。僕は、ブルドッグの指の短い手が僕の頬に当り、ポマードの冷いにおいが鼻先きに漂うと同時に、あたりが真赤になることを想いうかべた。肛門《こうもん》がひとりでに縮まり、膝《ひざ》をそろえて坐った脚がこわばってくる。 「吉松……」と倫堂先生が顔を上げて言った。「これがA組の野村の答案だ。おまえのとよく較べてみろ」 「…………」  赤インキが方々ににじんだのと、細い鉛筆の字がかっきりとマスにはまったように並んでいるのと、二枚の藁半紙《わらばんし》が並べられたのに目をさらしながら、しばらく僕は何を言われているのかわからなかった。 「恥ずかしくはないか」 「はア」 「おまえと同じ学年の生徒だぜ……」 「はア」  僕は機械的にこたえながら突然、拍子ぬけのような安堵《あんど》がやってくるのを感じた。——和尚さんは、僕が房江にしたあのことをまだ知らない。——僕は書棚にかこまれたこの暗い部屋のどこからか、ふっと援《すく》いの手が差しのべられたような気がした。 「このごろは、どうなんだ。すこしは前よりも勉強しているか。他の科目のノートも持ってきて見せなさい」  僕は、ほっとするあまり、まるで讃《ほ》められた生徒のように自分の部屋へ小走りに駈けこむと、カバンごと倫堂先生の書斎へ持ってきた。 「どれ……」  先生が手を出しかけたときに、僕は差し出したカバンを畳の上に落した。蓋《ふた》がひらいて銀貨や銅貨があたりに散らばった。それは僕が買い食いや講談本に費《つか》った金の釣銭を何の気なしに収《しま》っておいたものだ。 「どうしたんだ」  先生はむしろ狼狽したように僕といっしょに畳の上の貨幣をひろい集めながら訊いた。僕は金のことだけは正直に、学校へ収める金をつかいこんだことをこたえた。 「馬鹿」  はじめて愕然《がくぜん》としたように先生は顔色を変えると、ドナリつけた。金をつかいこんだことは僕が思っていたよりは中学校の生徒としてはよほど重大な過失らしかった。しかし、いまの僕にとってはそれは何でもないことだった。こんなことで先生にどれほど怒られようと僕は気が軽くなる一方だった。まるで体の中に吊り下げられていた錘《おも》りがはずされたように、ふわりと身が浮き上りそうにおもえて僕は、これですんだ、これですんだ、しょうべんはやっぱり途中でもらさずにすんじまったんだ——、と胸の中で、濡れた体のまま銭湯の便所へかけこむときのスリルを憶いうかべながらくりかえした。  夏休みには、僕は家へかえってくらすことになった。——これは他の生徒とは反対だ。ふつうは夏冬の休暇は大部分、学校の海の寮で団体生活をさせられることになっている。僕には家でも、お寺でも、学校の寮でも、たいした変りはなかった。海の寮ではブルドッグが僕を追いまわした。作業の時間があってモッコで土運びをさせられる。木蔭《こかげ》でひと息いれていたら、うしろからやってきたブルドッグが、 「こら、そんなところで何をしている。もっと自然にしたしめ」  と言うから、僕は「こうしてナマケていることが、ぼくにとっては自然なのだ」という意味のことをこたえたら、ブルは本物のブルドッグのように歯を剥《む》いて怒り出し、僕をむちゃくちゃに殴って倒したうえ、大きなお尻で僕の体の上に馬乗りになってまた殴りつづけた。だから海の寮にくらべれば、どんなところだってマシだとはいえる。しかし、お寺にこのままいろと言われたら、やっぱり僕は逃げ出したくなっただろう。日当りの悪い納戸の奥の部屋は、夏になるとおそろしく蒸し暑くなった。便所の汲《く》み取り口に面した西側の廊下の雨戸をあけてみるのだが、風はとおらず、逆にジメジメした家じゅうのうん気が折り重なって僕の部屋に侵入した。……だが、僕がいたたまれぬ思いをするのは、うん気や暑さのせいではない。あの房江との散歩のことがあるからだ。あれ以来、もう女の子を外へつれ出すことだけはよそうと決心した。それが良くないことだと気がついたからというより、もうあんなことはさすがに僕にもちっとも面白くなくなっていたからだ。しかし悪癖は決心だけではやめられない。ちょうどお寺では一年じゅうで一番いそがしい「お施餓鬼《せがき》」がちかづいており、倫堂先生をはじめ家じゅうの人は、その準備でおおわらわだった。弁天堂の仏壇のわきの古い大きな木の箱の中にしまわれてあった幕だの、赤いころもだの、銅鑼《どら》だの、といったものが縁台の上にひろげて並べられ、あたりは腐ったような強い黴のにおいでいっぱいになる。電話のベルが朝からいそがしく鳴りひびき、ほうぼうのお寺から坊さんが招《よ》び集められるやら、ひとの出入りがはげしくなる。そんななかで、誰からもかまいつけられなくなった房江は、僕の顔さえ見れば「さんぽに行こう」と誘いかけてくるのだ。僕はそれをどんな顔をして断ればいいのか? 結局のところ僕はまた同じことをくりかえすだけだが、それは愉しくも怖ろしくもなく、ただ後にやましさがのこるだけのものだった。  そんなわけで僕は休みになると早々、むかえにやってきた母親につれられて家へもどった。 「寺から、さとへ——」  と、母はちょっとの間にまた背丈《せたけ》ののびた僕の顔をながめては、何度となくくりかえして、歌うように言った。僕は、そんな母のはしゃいだような態度が気にくわなかったが、この際、それについて文句を言うわけにも行かなかった。すこしまえに母は、僕が校友会費その他の金を費いこんだことで倫堂先生によびつけられてアブラをしぼられていたが、このことについて僕は母からはほとんど叱られなかった。じつのところ母は内心、この事件をよろこんでいるように見えた。「子をみること親にしかず、さ」と、あんに倫堂先生の監督の不手際を痛快がるようなことを言った。一人息子を手もとにとりもどしたよろこびは、母親にとっては何ごとにもかえられないほどだということが、僕には不思議だったし、気味の悪いようなことでもあった。  実際、家へかえってからも僕は、これまでの自分と何も変ったところはないはずだと思っていた。母は、「顔いろが良くないようだ」とか、「鼻がすこし高くなった」とか言ったが、たといそうだとしてもそんなことは僕自身には何の関係もないことにおもえた。ただ僕は、これまでとちがって自分が誰に対しても、おそろしく丁寧《ていねい》な言葉づかいになっていることに気がついた。これは僕が大人になったためだろうか。それもあるだろう。しかし母や女中にものを言いかけながら、途中でそれが敬語調であったことに気がつくと、いまさらのように僕はお寺での窮屈な生活が、柔らかな風にのって自分のまわりから吹きながされて行くのを感じた。……だが、そんなことに気がついたのは夏休みも半分ぐらい過ぎてからだ。家へかえって最初に僕が、おや、と思ったのは、玄関に出迎えた女中が手をついて、「おかえりなさい」と言ったとたん、いやに色の黒い、顔の小さな女だなとおもったことだ。母の郷里からきていたその女中は、やってきたときから色が黒く、顔も体も小さく、とんがった口先きや、きょとんとした眼つきが、何となくあなぐらの中のタヌキを連想させた。だから彼女がいまもってタヌキに似た顔つきをしていても、それは当然のことなのだ。……それを僕が意外に思ったのは、お寺で勝子の顔ばかりながめてきたからにちがいなかった。  顔の幅のひろい、笑うと大きな口もとにバラバラに生えた歯ののぞく勝子のことを僕は、いつの間にかそれほど醜い顔立ちだとは思わなくなっていた。しかしタヌキに似ている家の女中の芳枝の顔も一日、二日のうちに、勝子の顔と同じようなものにおもえてきた。このことから僕は、とおく離れたところからかんがえたものが美しく見えるというのは、人間の顔にかんするかぎり嘘《うそ》だと思った。近くで毎日、見つづけている顔はだんだんこちらの中に入ってくる。そして、しばらくたつうちに自分で自分の顔が見られないように、相手の顔も美しいのか、美しくないのかわからなくなってしまう。ただ芳枝は僕のことを「周ちゃん」などとは決して呼ばなかった。そして僕はお寺で便所のとなりの部屋にいたときのように、芳枝のしょうべんの流れる音を聞くわけには行かなかった。そのかわり芳枝は勝子とちがって僕に対して、おどろくほど柔順だった。そのためだろうか、僕は心の中でときどき芳枝を房江のこととも混同した。実際、仕事している芳枝をうしろから不意に呼んだりすると、彼女はふと、草むらで裾《すそ》をまくってしゃがみこんでいるときの房江と同じような眼つきで、僕の方をむいた。こわがっているような、さげすんだような、そのくせ何かを待っているような……。僕は芳枝に何か言いつけようかと思った。たとえば「二階のぼくの部屋に水を持ってきてくれ」というようなことを。しかし前歯を二本|覗《のぞ》かせたまま、下唇を噛《か》みしめるように、じっとこちらに黒い眼を向けている芳枝の顔をみると、僕はなぜか舌がねばりついたようで口が開けなくなってしまうのだ。  何故《なぜ》だろう——? その理由をよく考えてみれば、僕は自分のしていることがわかるはずだった。しかしそれは何となく自分にとって都合の悪いことになりそうな気がした。それで単純に、お寺にいる間に女中にものを言いつける習慣がなくなったのだろう、と思うことにした。  毎晩、僕はふとんの中で眠りつくまでのあいだ、芳枝と房江と勝子との三人をバラバラにして自分の気に入ったようにつなぎ合せた一人の女を夢想した。もっとも、三人を並べていくら勝手な想像をはたらかせようとしてみても、いつも最後のところでは、何をどうしたらいいのか、まるきり見当がつかなくなってしまうのだ。  すでに僕は知識としては、さまざまのことを知っていた。だが、それは仮にどんなにたくさん知ったにしても、結局のところ僕にとっては地獄極楽の絵みたいに、信じていいのかどうか、迷ってしまうものだ。これは僕よりはずっとマセているはずの滝村なんかにしても同じだった。滝村は医者をしているお父さんの書棚から、「産科医概論」という大きな本をもってきて、教室で皆にまわし読みをさせたりするくせに、妊娠《にんしん》の原因になることを、「……天皇陛下がまず、その適当な温度にあたためられたお湯にはいられる。天皇陛下が出られたあと、つづいてすぐに皇后陛下が同じお湯にはいられる。このようにして皇太子殿下はお生れになったのだ」と、まるで式のときの校長先生のようなまじめな顔で僕らに説明してきかせるのだ。無論、滝村の言ったことを僕は信じはしなかった。しかし、それが嘘だともいいきれない気がするのだ。天皇陛下がお風呂にはいり、そのあとで皇后陛下がはいられる、これはいかにも自然だし、のみこみやすい。第一、もし医学の本に書いてあったようなことを天皇陛下たちもするのだとしたら、皇太子殿下がお生れになったからといって、日本じゅうのサイレンを鳴らしたり、僕らが旗行列をしたりしたことは、みんなとてつもなく滑稽なことになってしまうではないか。いや、天皇陛下たちのことはともかく、僕自身も父や母があれをしたために生れてきたということ、それを思うと頭の中が一瞬、真暗になってしまうようだ。  母は僕のまえで裸になることは平気だった。外出さきからかえってくると、玄関をまたぐと同時に、もう帯をほどきはじめ、「おお暑い、おお暑い」と連呼して、廊下づたいにその帯を半分ひきずりながら、部屋へはいるやいなや、まるでカチカチ山の狸《たぬき》が背中から燃えているタキ木を下ろすような大騒ぎで、着物から肌じゅばんまでその場に脱ぎすててしまう。僕がそばで見ていようといまいと、そんなことはおかまいなしだ。——これはたぶん、めんど臭いことやワザとらしいことが何よりも嫌いだという母の性分からきているにちがいない。そして、それはまた僕の性分でもあるわけだ。だからこれまで僕は母のすることが別にイヤではなかったし、たいていどこの家の母親でもこんなものだろうと思っていた。むしろ、お寺で先生の奥さんがいつもキチンと着物をきていたことの方が妙に気取った不自然な感じがしたくらいだ。ところが、このごろではどうかすると、そんな母にひどくイライラした気持にさせられる。……肥っていることを気にして、じゅばんの下に白いサラシの布をきつく巻きつけている母は、扇風機のそばで体操でもするみたいに両手を水平に上げて突っ立ったまま、芳枝にその布を巻きとらせている。芳枝は小さな体で、母の腕の下をかいくぐりながら、真赤な顔をして汗ばんだ布を自分の手もとに巻きなおして行く。すると、脂肪のたっぷりした母の体は布のほどけるにしたがって、ぶるぶるとゆれながら、まるでその場で溶けてしまいそうな危っかしい感じのものに思えてくる。ねばねばした熱っぽいものが部屋全体にみちあふれ、僕はおもわず顔をそむけてしまうのだ。  しかし僕は、母のそんな習慣をやめさせるわけにも行かないし、部屋から出て行くとか、場をはずすことさえできない。なぜなら僕はまだ自分が無邪気な少年であることを欲していたし、母もまたそう信じているにちがいないからだ。じじつ一瞬のちには僕だって、そんな恰好をした母を、これまでどおり何の気なしに眺めていることができるのだ。一度だけ、やはり外からかえってきたばかりの母が上半身裸のまま、籐《とう》の寝椅子にねそべって汗のひっこむのを待っていたとき、ふと、手枕するように頭の下に当てていた手をひきぬいて、胸のあたりに抱えこんだ。 「どうして……」と僕は訊いた。 「おまえがこっちを見ているからさ」と母はこたえた。  僕は、それまで母と自分とのあいだで均衡をたもっていた秘密のハカリが、その瞬間、ぐらりと動くのを感じた。  だが、そんなことが一度あった後にも、母は依然としてその習慣をかえなかったし、僕もそれに狎《な》らされているフリをつづけた。  母は退屈すると、きまって僕が子供だったころの話をしはじめる。生れてこの方、今日までの十二三年の間に起ったことがらを、僕はどれほどたくさん聞かされてきたことだろう。僕が銭湯へ行くたびに湯槽《ゆぶね》で脱糞《だつぷん》するクセがあったというようなことから、ハシカのこと、ジフテリヤにかかったこと、歩き出すのがいかに早くて巧みだったかということ、そんな話ばかりを、ほとんど毎日のように母はくりかえして話すのだ。しかし、それを聞かされていることが僕にとって苦痛の最大なものというわけではなかった。すくなくとも、それをやっている間、母は上機嫌で、現在の僕に対する不平や不満や怒りやを爆発させる危険はないからだ。いったん話が現在のことにおよぶと、僕は逃げ場のない八方ふさがりの袋地に追いこまれる。どちらを向いても、いまの僕には母をよろこばせるようなもの、自慢のタネになるようなものが一つもない。そんなとき母がきまって持ち出すのは「西山のふもとさん」のことだ。  西山|麓《ふもと》というのは、母の里方の遠縁にあたる人で、田舎では少しは財産のある家にうまれたが、父親にはやく死に別れたあと、兄弟もなく、母親とふたりだけで暮らしていた。悪い人ではなかったが、おそろしくなまけもので、酒ものまずバクチもしないかわり、仕事も一切せず、結婚もせず、五十ちかくになって母親が亡くなるまで、あらゆることをお母さんにまかせきりにしたまま、一日じゅう家の中でぼんやりしていた。お母さんが死んでからは誰も面倒をみる人がいないので、身のまわりの世話をたのむために親戚《しんせき》にすすめられて結婚した。しばらくは、その人とむかしどおりに暮らしていたが、ひと月かふた月たった或る朝、ふもとさんが眼をさましてみると、そのお嫁さんは家の中の目ぼしい道具一切とともに、どこかへ消えてしまっていた。それ以来ふもとさんは、ますますなまけものになり、家や田畑をなしくずしに売っては何もせずになまけていたが、とうとう住むところもなくなり、鏡川という川の河原で乞食《こじき》のような人たちのなかに入って、葬式のちょうちん持ちなどをやっているうち、身よりたよりもない人のように、誰にも知られず死んでしまったというのである。 「いいかね、おまえもいまに、ふもとさんのようになるつもりだろう。いいえ、きっとそうなりますよ。あたしが死んでしまったら、ね」と母はまるで僕がもう西山ふもとさんの後嗣《あとつ》ぎにきまったもののように言う。  僕にはこたえようがない。——そうなるだろう、とこたえれば、「やっぱりそのつもりでいたのか」と言われるし、だからといって、そうはならないとは自分でも保証できないからだ。……どっちにしても僕は、その西山ふもとという見ず知らずの遠縁のおじさんに、いやおうなしに親しくならないではいられなくなった。たしかに僕は親戚じゅうの誰よりも、ふもとさんによく似ているにちがいない。いや、話をきかされただけでも何だか自分のうしろに、ふもとさんの影がぴったりくっついているような気がしていたたまれなくなってくる。僕はふもとさんのような運命をたどりたいとは勿論《もちろん》おもわない。そのくせ、自分の親戚のなかにそういうおじさんがいるということが、どういうわけかうれしいような気もするのだ。眼をつむると、白い日のギラギラする鏡川の河原がうかび、そのなかを向うから黒い小さな人かげがやって来る。その真夏のかげろうみたいに色濃くゆらめきながら、立ってこちらを見ているのが僕の未来の姿をあらわす、ふもとさんなのだ。おかあさんが亡くなってさびしいですか? およめさんがいなくなって悲しいですか? なにを訊いても、その人はただ口もとにウス笑いをうかべたまま、じっと立っているだけだ。やがて口をうごかすのも面倒がるように、声にはならない声でひとことだけ、「こちも、はらは空いた」と言う。すると僕は突然、自分で想像したお化けにおびえる子供のように、耳をふさいで立ち上り、そのへんをヤタラにぐるぐる歩き廻りだすのだ。  僕がいちばん知りたいのは、ふもとさんがその母親をどう思っていたかということだ。五十ちかくになるまでの、お母さんと二人きりの暮らし。僕は、お母さんの葬式にだぶだぶの紋つきの羽織をきて、ひとりでポツンと坐っているふもとさんは、たぶん心の中ではほっとしていただろうと思う。ふもとさんのお母さんは、小柄な体つきで、いつも髪だけはきちんとした髷《まげ》にゆいあげていた人だという。そんな人ならきっと、ふもとさんに勤めや仕事がなくても毎日、朝はやく起きたにちがいない。そして髪の毛を一本一本、すいたり、とかしたりする丹念な手つきで、ふもとさんのことを、いろいろ、ことこまかに面倒をみてやっただろう。ふもとや、お掃除をするからちょっとそこをおどき、ふもとや、御飯をおあがり。ふもとや、けさはお代りはしないのかえ。そんなお母さんと毎日、顔をつき合せて外へも出ない暮らしが、五十年間つづいたわけだ。……そのあいだには、ふもとさんの脳ミソにも、心臓にも、毛穴の一つ一つにも、お母さんの鬢附油《びんつけあぶら》のにおいがしみこんで、それはもうお母さんのにおいではなく、ふもとさんの体のなかで、ふもとさんそのものの体臭になってしまっただろう。ふもとさんの脳のヒダにしまいこまれてあるお母さんの髪の毛の数は、お母さん自身の毛の数よりも多くなっていただろう。それはお母さんが生きている間じゅう、雨だれが石に穴をあけて行く根気のよさで、絶え間なしに増えつづけて行ったのだ。  そんな、ふもとさんはいったい、お母さんのことをどう思っていたのだろう。  夏休みは、のこりすくなくなっていた。僕は前にも言ったとおり、休みはそんなに好きではない。家にいることも、お寺で暮らすのも、教室の椅子の上に腰を下ろしていることも、それぞれ様子はちがっても、退屈なことはどれも同じだ。小学生のころ目黒から青山まで電車でかよっていた僕はかえりがけに、通学用の回数券をつかって両国《りようごく》まで一人で行ってみたことがある。そんな遠くの方へ、別に何かしたくて行ったのでもない。そこには大きな川があり、ねずみ色のどぼんとした水がまるで疲れ切った馬のようにゆっくりと流れていただけだ。僕はそんな景色をながめると、それだけで満足し、また電車に長いことゆられてかえってきた。これは、たぶんこれまで僕のやったたった一度の気まぐれだった。——学校へ行くフリをして青山墓地で時間をつぶしてかえったことは何度もあるが、これは学校がイヤで仕方がなくてやったことだから別だ——。そんなことが一度あっただけで、あとは学校と家との通学のみちも、ただ退屈と退屈のあいだの橋をわたっているだけのことだ。  しかし休みの日が、だんだん減って行くことは、たとい休みがどんなにツマらなくても、やっぱり憂鬱にはちがいない。あと十日、あと五日、三日、二日……、とおわりに近づくにしたがって、鍋《なべ》の底から水が煮つまってくるように、一日一日と日のたつのがどんどん速くなり、蒸発して消えて行ってしまうときの心細さは、小学校のときから毎年のことだが、イヤな気分に変りはない。  夕方ちかく、ヒグラシの声があっちこっちからいっせいに聞えてくると、僕は踏みつけている足のうらが、崩れて行く砂か何かにくすぐられているような気持だった。——死んで行くときの気持も、こんなものだろうか? 僕は西山のふもとさんが、おなかをへらして行き倒れになったときのことを想像しながら、かんがえた。どうせ誰でも一度は死ぬものなら、ふもとさんみたいになって死ぬことだって悪くはない。ただ、おなかがへって、どうしても食べるものが手に入らなくて、歩きつかれてパタンと倒れる、その瞬間のことをかんがえると怖ろしかった。そんなことにならないうちに、もっと簡単に何とかなってしまう方法はないものか? 僕は博物の宿題になっている昆虫《こんちゆう》採集のガラス瓶《びん》に鼻をつっこんで、においを嗅《か》いでみる。瓶の底には白い結晶のクスリがはいっており、それに水をかけると瓶の中にはガスがたまって、昆虫をほうりこんでやると、すぐさま死ぬ。……においを嗅いだだけでもムシなら死ぬ、それぐらいならこの結晶の一とかけらを嚥《の》みこんだら、僕だって死ねるだろう。しかし、いざとなるとそれを実行する気にもなれなかった。いつか胴の太い、うす茶色の大きな蛾《が》をこの瓶にほうりこんだとき、普通はたいてい一二秒で瓶の底に墜《お》ちるのに、この蛾だけはどういうわけかいつまでも瓶の中ではげしく羽搏《はばた》き、たちまちガラスの内側はうす茶色の粉にくもって、外からは到底覗けないほどに分厚くつもってしまった。あんまり瓶が汚れるので、その蛾は外へ逃がしてやった。……僕は鼻の先までもって行っていた結晶のかけらを、また瓶の中にもどしたのは、このときのことが頭にうかんだからだが、それは死に切れずにもがき苦しむことの恐怖も勿論あるにしても、それよりもガラス瓶の内側に鱗《うろこ》のように光りながらべっとりくっついて、あとで水で洗ってもなかなか流れおちなかった蛾の粉そのものの気味悪さが忘れられないためなのだ。  もっとも自殺のことをかんがえたのはこれがはじめてのことではない。三年まえ、東京の小学校へ転校して最初の夏休みがおわるときのことだ——。僕はそれまで田舎の学校にいて宿題とはどういうものか、てんで知らなかった。休みの最後の日の夕食がおわってから、母は僕が厖大《ぼうだい》な宿題帳の山にぜんぜん手をつけていないことを発見した。 「どうしたの、これは。あしたまでに仕上げて学校へ持って行かなきゃいけないんでしょう」母に言われて、はじめて僕は、そう言えばそうだ、と思いだした。母はしばらく無言で僕の顔を見つめ、突然ひくい声で言った。「おまえは、もう死になさい。わたしも死ぬから——」。その言葉を僕はきわめて率直に受けとった。そして台所からガスのコンロをさげてきた。母は、また顔色をかえた。この一瞬の変化が僕には、ただ不思議だった。もってきたコンロをまた台所へもどしながら、それがひどく油じみていて、いやに重かったことを憶えている。  ことしもとうとう八月三十一日がやってきた……。  僕は朝から机のまえを往《い》ったり来たりした。宿題はやはり、まだ半分もカタがついていなかったが、それでも博物の標本づくりや、地理の地図塗りはどうやらおわっているし、英語や数学の方は、学校がはじまってから誰かのをうつしても間にあう。そんなことよりも僕は、あしたからまたお寺の生活がはじまることをおもうと、たまらなく億劫《おつくう》で落ちつかない気持だった。別段、家にいることが愉しいわけでもないのに、場所をうごくことそのものが何となくイヤなのだ。外には陰気な雨がふっており、もう秋になったようなうすら寒さだ。  階下で、茶の間の柱時計がのろのろと時を打つのがきこえた。僕は机の上にひろげた本のページをみんな閉じて、階段を下りた。まだ午後のはずなのに、階下の部屋は夕方みたいな暗さで、へんにガランとしている。母はどこかへ出掛けて留守だった。僕は何となく風呂場へ行って手を洗った。するとまたお寺のことが頭にうかび、先生の奥さんは女子大出身だ、と思った。すらりとした細長い鼻にフチなしの眼鏡がかかっていて、何か言うときにちょっと口の端をまげるクセがある。台所で芳枝が昼飯のあとかたづけをしていた。コンロに青いガスの炎がもえており、芳枝は流しに向って前かがみになって皿を洗っている。手をうごかすたびに背中で蝶《ちよう》むすびにしたカッポウ着の紐《ひも》がうごくのが見えた。……僕がうしろに立って見ていることを、芳枝は知っているようでもあり、知らないようにもみえた。窓ごしにイチジクの枝が覗き、広い葉のうえを雨が汗のように流れている。  僕は茶の間へ行き、しばらくの間、寝ころんでもう一度かんがえた。いま芳枝は僕がうしろにいたことに気がついていたか、いなかったか? ——どっちにしろ、きょう一日で夏休みがおわりになることだけははっきりしている。僕は起き上って、また台所をのぞいた。イチジクの葉っぱが反映して芳枝の肩と頸《くび》の両脇にやわらかな緑いろの光がさしている。母は芳枝のことを「いまどき、こんなに素直にいうことをきく女中はめずらしい」と言ったかとおもうと、「いいつけられたことはすぐ忘れるほど馬鹿のくせに、活動写真のことなら何でも知っているんだから」なんて言ったりする。芳枝がいうことをよくきくこともたしかだし、いいつけられたことをすぐ忘れるのもたしかだ。けれども彼女が、いま何を思っているのかということだけが僕には全然わからない。いま彼女に僕が毎晩、寝床の中でかんがえているようなことをしてしまったらどうなるのか——、僕は茶の間へかえってつぶやいた。鴨居《かもい》の上で鈍い金色の振り子がだるそうにうごいている。不意に、ある思いで僕は胸がいっぱいになってきた。自分はだんだん年をとって行きつつある。いまの、たったいまもそうだ。やりたいと思うことがあったら、いまこそやっておかなくてはならない……。そう思うと僕は逆に勇気がわいてきた。案外、彼女にたのんでみたら、そのとおりのことを素直にやってくれるかもしれない。ただ、一つだけ心配なのは彼女がいらざる遠慮をしはしまいかということだ。そんな汚いところはお目にかけられません、などと……。だが僕は、すぐさまその対応策が頭のなかにひらめいた。  一つの考案がすばやく組み立てられた。まず柱時計の振り子をとめ、ほぼその真下に寝ころぶのだ。フミ台を頭のうしろにおき、新聞紙を枕元に投げ出して、目をねむそうに半眼にとじる。用意はそれだけで充分だ。うまく行くかどうかはわからない。しかし自然な感じでめんど臭がっているように見せかけておきさえすれば、まずく行ったところで、どうということはないはずだ。 「芳枝」  僕は寝ころんだまま大声で呼んだ。「時計のネジをまいといてくれないか。時間がわからないとこまるのだ。あしたから学校だから……」  芳枝はすぐにやってきた。そして、 「もうそろそろ、とまるころだと思っていました」  と言った。僕は顔を横の新聞紙の方へ向けたままで、フミ台を柱の下へおしてやった。芳枝は一瞬、とまどった様子だった。が、しめった足のうらで畳をふみつける音が、ほとんど耳もとまで近よってきた。僕は上眼づかいに彼女の片足がフミ台の上にかかるのを見た。芳枝は片手でゆかたの裾をさわった。僕は無論そんな動作をにくんだが、同時に彼女がお寺の奥さんのような下着をもちいていないことを確信した。 「ちょっと……」  芳枝の口ごもる声が、頭の上からおりてきた。どいてくれ、というのだろう。僕はわざと横を向いたまま、怒っているようなウナリ声を出してやった。芳枝はついに両足とも台にのせた。うまい、と僕は思った。芳枝の両足が爪先《つまさ》き立つと、ゆかたの裾がゆれながら前の方へ垂れたからだ。ギリギリとゼンマイの巻き上る音がしはじめた。彼女の注意力は足もとには向いていない。僕は眼を上げた。だが、どうしたことだろう。そこには何もなかったのだ。仄暗《ほのぐら》い幕のなかには、ぴったりそろった二本の脚、それだけだ。僕はアッケにとられて失望するひまもないほどだった。……気がつくと、芳枝の怒った顔が眼の上にあった。 「いけません、坊っちゃん」 「わっ」  怖ろしさと、恥ずかしさとに一度におそわれて、僕はおもわず声を上げると、そのまま二階の部屋まで、いちもくさんに逃げた。  なぜ逃げたのだろう——。そう思ったのは、それから一時間ほどもたってからだ。——逃げないで、じっとしていて、つまらなそうにゆっくり眠るふりでもしたら、それでよかったのではないか。あんなふうに大声を上げれば、こちらが思っている以上に芳枝をおどろかせたにちがいないのだ。かんがえてみれば僕の考案は、やっぱり最初からまちがっていた。あんなことをしたのでは、もう僕は芳枝には何とたのみこんだところで、たのみをきかせるわけには行かない。後悔とともに僕はむしろ恥ずかしさが消えて、自分のやったことを振りかえる余裕がでてきた。いちばんいけないのは僕がいまだに自分を子供だと思いこんでいることだ。世間の人も、芳枝も、もう僕を子供だとは思っていない。——もし芳枝が僕のことを子供だと思っていたら、あんなに怒った顔はしないはずだ——。それなのに僕は自分が大人になりかかっていることを自分一人の秘密だとばかり思っていたのだ。  それにしても、あの時、あそこに何も見えなかったというのは、どういう理由によるのだろう。女というのは、そういうものなのだろうか。それとも芳枝だけが何か、あそこをかくしてしまううまい方法を知っているのだろうか。  お寺では僕がかえって来たからといって、背がのびただの、鼻が高くなっただのと言ってくれる人はなかった。けれども僕は、この一と月半ほどの間に、たしかにこれまでにないほど変ってしまっていた。誰に言われなくても、それがようやく自分でものみこめるようになってきた。  これは僕だけのことではなく、学校でしばらくぶりで顔を合せる連中が誰でもそうなのだ。田舎へ行って日に灼《や》けて真黒くなってきた者も、そうでない者も、おしなべて骨っぽい顔つきになってきた。もうザッソウのことなど話題にする者はいなくなり、それが話題になる場合でも、いまでは生えそろっていない連中が肩身をせまくする番になった。また、滝村の勢力失墜もこのごろで目立った変化の一つだった。彼の新知識がもう珍しくはなくなったというより——その方面の新知識は依然として僕らを興奮させるものである——、滝村が新知識といっしょに振りまわす道徳がもはや誰の眼にもひどく陳腐《ちんぷ》なものであり、そんなものにおびえるということがなくなったからだ。滝村自身もそのことに気がついたのか、このごろでは医学の本などよりもニキビとり美顔水の権威になろうとしていた。先学期までは誰も美顔水のことなど口にするものはいなかったが、たとえば額にできたニキビは帽子をかぶるたびに擦れて痛いし、背中の方までまわってきたニキビはもうほうってはおけない病気かもしれないという気を起させた。そんな実際的な要求から、ニキビとり美顔水をつかうことは別段、恥ではなくなったのだ。……もっとも、まだそれほどたくさんニキビのできていなかった僕は、滝村のもってくる美顔水をみるたびに、母親の鏡台のまえに並んだ化粧瓶が眼にうかび、滝村の顔がへんにベタベタした感じがした。  僕はもう房江の誘惑にはのらなくなった。柱時計の失敗で、ともかく子供ぶったってダメだということがハッキリしたからだ。子供のやるお医者さんごっこはもう僕には許されない、そう心がさだまったあとでは房江はただの子供にすぎなかった。僕はまた駄菓子や甘ナットウをこっそり買うこともやめてしまった。ひとわたり食べてしまったあとでは、何であんなものが食べたかったのかと思うようなものばかりだった。ただ学校の勉強をする気にはどうしてもなれなかった。新学期からブルドッグは新しい刑罰をかんがえた。遅刻してきた生徒には教室へはいることを許さず、その日一日、講堂で自習させるという。これはブルが、外国の立派な劇場では幕があくとお客を中に入れないという話をきいて、おもいついたことだ——。だが僕にとっては、こんなに都合の好い、気のきいた罰はなかった。サボリたくなったときには、いつでもちょっとだけ遅れるようにすればいいのだ。講堂には監視はつかないし、となりにある図書室からは、いくらでも本が持ってこられるから、退屈する心配はなかった。僕には愛読書はなかったが、手あたり次第に何でも読んだ。しかし世界美術全集と地理風俗大系の南洋編とは、ほかに何を読むときでもほとんど欠かさず、いっしょに持ってきた。ことに「南洋編」のなかにある裸の土人の娘の写真は、見るたびに僕を魅《ひ》きつけた。焦茶色のインキで印刷されたその写真は、それほど精巧なものではなかったけれど、そこにある女の裸はまるでジカに僕に訴えてくるので、おしまいにはその本そのものが、一人の女のように思われた。もう一つの美術全集の方では、ギリシャ彫刻の写真がたのしみだった。けれども、この方はけっして本そのものが女になって感じられるということはなかった。  講堂に閉じこめられるのは、たいていは僕一人だった。となりの組の本間という株屋の息子や、井上という一級上から落ちてきた生徒が、たまにいっしょになることがあるだけだった。しかし彼等といると、僕はかえって退屈した。別にかくす必要はなかったが、彼等のまえでは南洋編も美術全集も見る気にはなれなかった。本間はまだ小学生のような顔つきをしており、話をしてもひどく子供っぽかったし、井上の方はまるでそんなものには興味がなさそうに思えたからだ。井上が落第したのは成績不良のためではなく、まえの年に水銀をのんで半年ほど学校をやすんだからだそうだ。——水銀をのむと声がシブくなってヤクザ仲間におどしがきくからだ、と井上はカスカスした声で言った。いわれてみると、その声はまるで気管の破れ目から風が漏れるような感じがする。しかし僕がおどろくのは、そんな井上が講堂のなかでオノケイの単語集や数学の参考書を熱心に読んでいることだ。自分のようにいつ退学になるかわからないものは、こういうものをやっておく必要があるというのだ。僕が保成倫堂先生の家にあずけられていることを話すと、井上はすこし芝居がかって見えるほど僕に同情し、自分の仲間にもM学院中学の校長の家にあずけられている男がいると言った。「そいつは朝飯のとき、いつも校長の目のまえで塩せんべをゲンコツで叩き割って、味噌汁のなかへ浮べて食っちまうんだ。度胸のすわった、偉い男だ、こんどあんたに紹介しよう。……それから、これは別のはなしだが、不良仲間に喧嘩《けんか》を売られるようなことがあったら、いつでもおれのところへ話してくれ、どんなことがあってもすぐ、助けに行くから」  そう言われても、僕には喧嘩をしかける者もいないし、こちらから積極的にやっつけてやりたいとおもう相手もいない。それに味噌汁のなかへ塩せんべを割って入れることが、どうしてそんなに尊敬にあたいするのかも合点が行かなかった。……だが僕は、べつに井上を敬遠しようとはかんがえなかった。ちょっと風変りな、おもしろい話をするやつにはちがいないと思ったからだ。井上は別れしなに、「いるなら、やろう」とメリケン・サックをくれようとしたが、僕はことわった。そんなものを貰うことが危険だからというより、役にも立たないものをポケットに入れておくことが、ただ単純にめんど臭かったからだ。井上は僕の顔をみて、すこし失望したようなウス笑いをうかべた。  お寺で変ったことといえば、倫堂先生の遠縁に当るという、ゆかりさんという人がやってきて、納戸をはさんで僕の部屋と反対側の座敷に寝とまりするようになったことだ。「お嫁に行くまえに東京の水でみがきをかけるのよ」と奥さんは言った。ゆかりさんにかぎらず、ときどき遊びにやってくる先生や奥さんの親戚の人たちと顔を合せるのが僕は苦手だ。みんなは茶の間で新聞を読んでいる僕をみても、何かめずらしい動物に出会ったような顔つきになるからだ。いや、めずらしがられるのはどうでもいいとしても、やってくる人がそれぞれ違った態度でめずらしがるので、こちらとしてはまごついてしまう。とおくからチラチラと僕の方をながめて、ひそひそ声で奥さんに話す人がいるかと思うと、部屋にいる僕をわざわざよびに来て話しかける人もいる。いちばん困惑するのは食事のときだ。いっしょに食べろと言われるときもあれば、僕だけが別の部屋でひとりで食べさせられるときもある。無論、僕は特にこの家の親戚の人たちといっしょに食事したいとは思わない。ただ、そのときそのときによって、いっしょに一つのお膳をかこんだり、僕のぶんだけ部屋にもってこられたりすると、なんとなく僕は皿の中のものが冷くなっているような気がするのだ。  ゆかりさんには僕は別段、遠慮することはいらないはずだ。事実、彼女はお寺のなかで僕と大体同じような待遇をうけていた。家族でもなく、使用人でもない……。だが、それだからといって僕はゆかりさんを同輩にも友達にもするわけには行かない。むしろ、その反対に彼女はいつも僕には意地悪く当っていたし、僕は僕で彼女の言葉づかいのナマリをきくと、それだけでもイライラさせられた。いつか僕が風呂場の屋根づたいに柿の木にのぼって柿をもいでいると、下から、 「こら、お寺のものを黙ってとると泥棒さんですぞ」  と、ドナる声がするので、見るとそれは帯に両手をはさんで立ちはだかったゆかりさんだった。僕はおどろいたにちがいなかった。雨あがりで柿の木は濡れており、どうかすると滑りそうになるうえに、ちからをいれて踏んばると黒い木の皮は剥がれやすくて、はだしの足に棘《とげ》のように痛い。気をつけていたのに、ゆかりさんの一喝《いつかつ》に思わず足を踏みはずし、ぶら下った枝が音をたてて折れると、ふところの柿の実がころがり落ちるのといっしょに、僕の体は風呂場のトタン屋根のうえに墜落した。手や内股《うちまた》やのあちこちに擦《す》り疵《きず》をこしらえただけで別にたいした負傷ではなかったけれど、ぶざまな転落の恰好を彼女のまえで示してしまったということは、それだけでも充分腹をたてる理由になる。……しかし、僕がゆかりさんにイラ立たしい思いをするのは、本当はそんなことのためではなく、たとえば僕が「じつは柿を食べるのは好きではないが、赤い実がとりたくなったからとったのだ」と、いくら説明してやっても、彼女がそれを絶対に認めようとしないことだ。そしておしまいには僕自身まで、本当はおれはやっぱり柿が食べたくて木に登ったのかもしれないと思ったりするようになるのだ。  僕は自分の部屋の押入れや机のヒキダシのなかなどに気を配るようになった。何となく留守中に、ゆかりさんが部屋のなかをあちこち探っているような気がしはじめたからだ。あるいはそれは、僕のおもい過ごしかもしれない。けれども、もし仮にいま僕が房江を散歩につれ出してやったようなことをしたとしたらかならず、ゆかりさんに嗅ぎつけられてしまったにちがいない。僕と勝子が何でもない話をしているようなときでさえ、他に誰もいないとおもって、ふとあたりを見廻すと、両肩にも背中にもこんもり肉のもり上った、ゆかりさんの後姿が影法師かマボロシみたいに遠ざかって行くのだ。……そんな、ゆかりさんを見ていると僕は彼女がきらいになる。ひとのすることをコッソリつけ狙っているから嫌いというわけじゃない。そういうことなら僕は彼女が好きになる。そうではなく、ゆかりはただ黙って、ひとのそばに立って、横目でそれをながめているからイヤになるのだ。彼女の重そうなお尻、どんよりした体つき、ヒゲみたいに黒いうぶ毛におおわれた頬や二の腕、そんなものがこのお寺のヒッソリした変に冷い空気のなかで、まわりのものとチグハグに一人だけ立っているのが、何となく僕には憂鬱《ゆううつ》で、重苦しくて、耐《たま》らない感じなのだ。  一体ゆかりさんは何のために、このお寺にきているのか。「東京の水でみがきをかける」といったって、ここにいたんじゃ東京も田舎も変りはしない。鋳物工場の煙突からながれてくる油煙のにおいと抹香のにおい、それが混り合った何ともいえないイヤなうっとうしいものを、体じゅうに染みつけるだけのことだ。彼女はいっしょうけんめい東京の言葉をおぼえようとするのか、何でもかんでも「お」をつける。「おミソ汁」だの、「お乞食さん」だのというのはまだしも、「あれ、お猫があんなところで、しょうべんしてら」と言うにいたっては、そばで聞かされている方が悲しくなる。 「こんなところにいたってダメだぜ。いればいるほどダメになるんだ。君だって、こんなところにいつまでもグズグズしてると、一生お嫁になんぞ、もらい手がなくなるだけだぜ」  僕は、心のなかでかんがえていたことを、思い切って言ってやった。 「ふん。そんなら、あんたはなぜこんなところにいるの」  ゆかりは、幅の広い唇のはしをゆがめながら言いかえした。僕はちっともおどろかなかった。 「おれかい。おれは、ただあずけられているから、いるだけさ」  実際、いまは僕がこの寺にいて成績が良くなるだろうとは、誰一人かんがえてはいなかった。母親も、倫堂先生も、ブルドッグも、教頭も、そして勿論僕自身も、こうやっているうちに勉強ができるようになるだろうとは思わなかった。それならどうして、こんなところにいるのか? じつは少しでも良くなる見込みがあれば、僕はすぐにでも家へかえしてもらえるはずだった。だが僕は、努力して成績を上げて家へかえしてもらったって、それでどうなのだと思ってしまうのだ。  お寺の生活は無論、ちっとも面白くはない。買い食いがバレて以来、奥さんは僕のオヤツに気を配ってくれていた。仏壇から下げてきた大きなマンジュウは、どうしても処分してしまわなくてはいけないものだから、これが毎日出てくることに変りなかったが、そのほかに必ず何かしら出た。黒砂糖のついたカリン糖だの、成田山の羊かんだの……。僕はそのたびに気が滅入《めい》った。奥さんは僕がなぜ買い食いをしたかという理由をまちがえている。しかし、それを一体どう説明したらいいのか?  奥さんばかりでなく、先生も、僕がオヤツだの朝晩の食餌《しよくじ》だのを食べのこすのを、こちらが考える以上に気に病んでいた。僕が偏食で、ナスも、キュウリも、菜っ葉も、ニンジンも、それから煮た魚も、ほとんど食べようとしないのを、最初のうち先生たちは、単に「変った子だ」と思っていた。だから嫌いなものを無理にでも食べさせることは教育的な意味があるというので、僕のお皿にはそんなものばかりが、ことさらたくさんつけられた。ところが、あずけられて一年近くになっても、まだ偏食の癖が容易にぬけないとなると、これは何よりも先生たちの自尊心に関する問題になってきた。みんなが、おいしがって食べているナスの鴫焼《しぎや》きに僕一人が頑固に箸《はし》をつけようとしない。すると先生たちは、僕がみんなの食べているものを馬鹿にしているためだと思うらしかった。 「吉松、おまえはそんなに肉が食べたいのか。それなら肉屋へ奉公に行けばいいんだ」  僕には、何で先生が突然そんなことを言い出すのかわからないので、黙ってほうれん草のゴマよごしの皿を箸の先でつついている。と、先生は横を向いて誰に言うともなくつづける。 「肉屋の便所は臭いものだよ。なぜかって言うと、小僧が年じゅうブタばっかり食べさせられるからだ……。あんなに臭い小便が出るのに、よくあんなものが食べられるものだ。ああ、臭い、臭い。想っただけでもムカムカする……。あんなものを平気で食べるやつは前世でブタだったんだ。自分がブタだから、臭い汚いものが体のなかに溜《たま》っていても何とも思わねえんだ。ああ、ブタなんぞよろこんで食うやつはみんなブタだ。ブタは自分の糞だって食うんだ……。ああ、いやだ、いやだ、本当にブタはいやな動物だ」  先生がこんなに、すこしヒステリックにおもえるほど何かを攻撃しつづけることは、めったにない。僕には、どうして先生がこんなにしつっこくブタにばかりこだわるのか合点が行かない。……たぶん先生は、僕のことをブタに似ていると言いたいのだろう。たしかに、そのとおりかもしれない。しかし僕だって特別にブタ肉が好きだというわけではないし、まして奥さんにブタを食べさせてくれとたのんだこともない。ハッキリしているのは、ここの家ではブタや牛肉をめったに食べないということと、それにもかかわらず便所の臭いは——肉屋と較べてどうかはともかく——ひどく強烈だということだ。  ところで、この家の便所の臭いの半分は、方丈さまにその責任がある。——方丈さまは大抵、おひるごろやって来て晩御飯のまえには帰ってしまうのだが、便所にはいつもお酒をのんだ人独特の臭いがたちこめている。これまで僕は、とくに食物によって排泄物《はいせつぶつ》の臭いがどう違うかということに注意をはらったことがない。けれども倫堂先生にブタ肉のことを言われて以来、僕の関心は自然にそのことに向った。そして方丈さまが入ったあとでは、物の腐るときの、生温いような、甘酸っぱいような臭いが、いつまでも分厚くただよっていることを発見した。  老人で、億劫《おつくう》がりやの方丈さまは、よく扉をあけっぱなしで用をたすのだが、その生温いにおいをかぐと、僕はお経の文句など口ずさみながら、ころもの裾をたくし上げている方丈さまの後姿がすぐ眼にうかび、たるんで雄鶏《おんどり》のトサカのようにしわのよった喉《のど》の肉や、ころもの下の素肌に着こんでいる籐製の籠のような不思議な肌衣《はだぎ》の汗のしみこんだ色合いや、そんな方丈さまの身体《からだ》にまつわりついているあらゆるものが、みんなその尿のなかに溶けこんでいて、水蒸気になって僕の体や鼻の穴なんかにベタベタと吸いついてきそうに思えるのだ。……この臭いを倫堂先生は生れてから今日まで何十年となく嗅《か》ぎつづけてきたのだ。それは抹香《まつこう》のにおいよりももっと強い影響を倫堂先生の胸におよぼしたかもしれない。先生はきっと子供のじぶんにでも肉屋の店へお経を上げに行ったことがあるのだろう、そしてその店の便所の中で晩御飯のオカズのことを、あれこれと考えたのにちがいない。  どっちにしても僕は便所のなかですごす時間を、できるだけ切りつめたいと思い、便所に入るまえに、胸いっぱい空気を吸いこんで、なかでは息を吐くだけにし、汚れた空気は吸うまいとつとめた。衛生的にみて、こんなことがどんなに馬鹿げた、役に立たない努力かということは、僕でも知っていた。けれども僕はそれをしないと安心できなかったのだ。……その日も僕は、手水鉢《ちようずばち》のまえの廊下で、首を外へつき出して深呼吸をやっていた。青い羊歯《しだ》や銭苔《ぜにごけ》の透《す》けてみえるひんやりとした空気を吸えるだけ吸いこんだら、海女《あま》が海の底へ潜るときの要領で便所の扉をあける。そのときだった。うしろから、 「あんた、何イしてんの」  と、声をかけられて振り向くと、ゆかりさんが立って、怪訝《けげん》な顔でこちらを見つめている。一瞬、僕は秘密を盗まれたような狼狽《ろうばい》を感じながら、 「何だって、いいじゃねえか」  と腹立たしく、どなりかえした。すると、ゆかりさんの眼が光った。 「ふふふ……、あたしも、それやってんのよ。臭いもんね、ここのおちょうず」  と袂《たもと》で口と鼻を覆うようにして、眼だけで笑った。僕は心がゆるむと同時に、不意にそんなゆかりの顔を美しいと思った。ゆかりは、つづけて言った。 「勝ちゃんたらねえ、三日か五日に一ぺんほどしか、おちょうずへ行かんのですって……、そいでね」  と、彼女はおかしくてたまらなそうに下腹を抑えて、しゃがみこむように笑った。 「そいでね、どうしてもがまん出来なくなると、ホオズキを口に入れて行くのよ。気分転換ですって」 「そいつは何だか、きたねえなア」  僕はまるで馬鹿になったようにゲラゲラ笑った。 「何がおかしいのさ。汚いところへ、なるだけ行かない方が体がキレイでいいじゃないの……」  いつの間にやってきたのか、勝子がそばから真赤になった頬をつき出して言った。 「だって、それだけ汚いものがあんたのお腹《なか》に溜《たま》ってんのよ」  と、ゆかりは黒い眼で勝子のお腹のあたりを探るようにながめながら言った。それを聞くと僕は、よれよれになったカッポウ着と着物の下に白い勝子の腹があり、その中にいろいろの臓物がからみ合って巣にこもっている蛇のように、いっぱいに詰まっているありさまが、想いうかんだ。 「うへえ、汚ねえ、汚ねえ」  僕は、はしゃいで、はやしたてるように言った。けれども、じつのところそれは汚いという以上の何かだった。ポンプのようにうごいている胃袋や、蠕動《ぜんどう》する腸、それらのものが伸びたり縮んだりするうちに、波打際で眠っているイソギンチャクみたいな肛門を揺り起して、その口を開かせる。僕は部屋へかえってからも、そんなことを興奮しながら考えた。  そんなことがあってから、僕はもう便所へ行く前に深呼吸などしなくなった。それまで音でききわけることにもっていた関心が、においの方へ向ったからだ。誰がどんな臭いをさせるか、これは音できくよりも、ずっと微妙で難しい。学校では朝の二時間目に、もう昼のオカズを言いあてる生徒がいる。九時ごろになると地下室の食堂のとなりにある炊事場から、二階の教室の窓までコンクリートの空堀をつたって、しめっぽい野菜だの肉だののぐつぐつ煮えるにおいが上ってくる。ハヤシライスか、つくだ煮か、けんちん汁か、それを考えるだけでも結構、一時間ぐらいの授業時間はかるくたってしまう。だが、僕が便所のなかでやりはじめた嗅ぎ分け方は、それとは動機も手段もまったくちがう。……僕はいまでも便所の臭いそのものは嫌いだし、方丈さまの入ったあとの臭いは、かんがえただけでもウンザリだ。ほかの人の場合だって、においそのものは決して好ましいわけじゃない。ところが、ゆかりさんや勝ちゃんと話したあとで、僕は意外なことによって、便所のなかに汚穢《おわい》以外の遺り香があることを発見したのだ。あるとき僕は壺の上にしゃがみこみながら、一瞬ふと、あの臭いが消えていることに気がついた。——なぜだろう? 僕はしずかに鼻をうごかした。すると、白粉《おしろい》と口紅のにおいの漂っていることがわかった。しかし、そう思って、顔を前の方へ泳がせるとやにわに、いつものとおりの臭いに突き当った。おどろいて姿勢をもとにもどすと、またさっきの白粉と口紅のにおいがしてくるのだ。そして、その姿勢をちょっとでも崩すと、たちまちまた糞尿の臭いにぶっつかる。そうしたことを何度かくりかえすことによって僕は、はたと物理でならった「アルキメデスの原理」を憶《おも》い出したのだ。アルキメデスが湯槽《ゆぶね》につかって、こぼれるお湯を見ながら、それが自分の体積と同じ量であることを発見した原理によって、僕は便所の中で人間がしゃがんでいた個所だけは、濃厚な臭気がポッカリとその人間の型に刳《く》りぬかれているはずだと考えた。  いったん、そう思いこむと僕は、もうあのツンと鼻から眼までが痛くなりそうな劇《はげ》しい臭気も、それほど気にはならなくなった。そして、もっぱら白粉と口紅のにおいをさぐりながら、さがし当てるとその中にピッタリ身体を嵌《は》め込もうと努力した。僕には白粉やクリームにどんな種類があって、香りにはどんな特色があるのかという知識はまったくなかった。だから化粧品のにおいで、それが奥さんのものか、ゆかりさんのものか、勝ちゃんのものかを嗅ぎ当てることは不可能だ。そのかわり比較的高いところからにおってくるのは背の高い奥さんのにおいで、幅がひろくて分厚いのはゆかりさんのにおい、そして一番低いところでスカスカした感じのするのは勝ちゃんのにおいだろうと思うことにした。すると眼の前のネズミ色をした薄暗い壁に、それぞれの高さで、それぞれの顔が浮んで見え、そのたびに僕はこの三尺四方にかぎられた密度の高い、粘っこい臭気のかたちを崩さぬよう、まるで自分自身が鋳物になったように身ゆるぎ一つしまいと、一生懸命がんばるのだ。あまりの緊張と、重くのしかかってくる臭気のためか、やがてメマイでも起ったように、頭のシンがいたんでボンヤリしてくるまで、それはつづく……。  ところで僕は何のために、そんなことをつづけたのだろう。めまいのしそうな努力をして、いったい自分が何を欲しがっているのか? もしかすると僕は、あの臭いそのものが好きになっていたのかもしれない。子供のころ、父親の郷里の田舎へつれて行かれたとき、レンゲの花の咲いているところで、よその子供たちと鬼ごっこをやっている最中、不器用な僕は田んぼに落ちた。ちょうど肥料をまいたばかりのところだったから、僕は体じゅう汚穢だらけになった。そのとき、三つばかり年上の女の子が手を貸して引っぱり上げてくれたことと、井戸端で水を掛けられたことを憶えている。……便所の臭いをかぐと、いまでも身震いがでるのは、あのときのことが頭にのこっているためだろうか。だが、あのとき僕は恥ずかしくはあったけれど、怖《おそ》ろしいとは思わなかった。そして僕の手をひっぱってくれたあの女の子の顔は、美しかったとおもっている。けれども、便所のなかでは別段、彼女のことを想い出したりはしない。  秋の修学旅行がやってきた。二年生は二泊で日光と伊香保《いかほ》へ行くのだが、僕は参加を止められた。旅行はどうせ、列をつくってやたらに歩かせられるうえに、監督で気の立っている教師に何かするとすぐ殴られるだけのことだから、とめられたって悲観はしなかった。学校へ行くと、やはり旅行につれて行かれなかった井上と本間がきていた。教室に集って自習ということになっていたが、見廻りにくる先生はいないから、遅刻して講堂に閉じこめられるのと同じことだ。  その三日間で、僕ら三人は急にしたしくなった。最初の日、食堂で出た昼食を僕らは三人とも、ほとんど半分も食べなかった。そのすこし前に、井上が一人で学校をぬけ出して銀座の店で買ってきた大きなデコレーション・ケーキを僕らに振るまってくれたからだ。井上は教壇の机の上で、ジャック・ナイフをクリームだらけにしながらケーキを切ると、れいの壊れたフイゴのような声で、 「さア、みんな、景気よくやってくんな……」と言った。  二日目、株屋の子供の本間は、チョコレートだのサンドイッチだのを、ぎゅう詰めにして持ってきた。 「こんなにたくさん、おれたちが食べきれると思ってんのか、おったんちん」と井上は言った。  たしかに昨日につづいて今日も、食堂の昼飯を食べのこすのは、あんまり感心したことではない。しかし結局、僕らはこんなことを言いながら、本間の持ってきたものを全部平げてしまった。食堂で食べのこしたものは、こっそり紙に包んで僕が捨てに行った。これはある程度危険な役割だったが、それよりも僕は、御飯とオカズの混り合ったビショビショした紙包みが、へんに生温く、ぐにゃぐにゃしていることの方が気味悪かった。そのくせ饐《す》えた臭いのするコンクリートの大きな芥溜《ごみだめ》のまえまでくると、こんどはそれを投げこむことが何となく怖ろしいような気がするのだ。  この日、本間が学校へ持ってきたのは食べものだけではなかった。それは食べものなんかよりは、もっと大事なものらしかった。——「書生をダマしてやっと借りてきたんだ」と本間は厚紙の台に貼《は》りつけられた一枚の写真を取り出しながら言った。西洋のヒゲを生やした男と、編み上げ靴をはいた女とが、おたがいに片脚を奇妙なかたちに跳ね上げた恰好でうつっていた。 「どうだ、すごいだろう」 「うん、すごい」  僕はこたえた。けれども、そのときは男のヒゲが絵にある大将のそれのように両端がピンとはねあがっていることと、女が太腿《ふともも》に横縞《よこじま》のダンダラ模様のあるストッキングをはいていることしか見なかった。むしろ僕は軽い頭痛みたいなものをおぼえた。女と男の接近した脚と脚とのあいだに地中から盛り上った木の根っこのようなものが横たわっており、そのまわりに考えられないほど沢山のザッソウが縦に長く繁茂している。頭痛はそれを見たために起ったのだろうか。そうかもしれない。だが僕はどういうものか、古風な椅子の上に白いウサギの玩具をのせて、いまにも泣き出しそうな顔を正面に向けている自分の子供のころの写真を憶い出していた。ヨダレで光っている唇、ミルクのにおいのする襟《えり》もと……。頭からすっぽり黒い布をかぶり、こちらに機関砲のようなレンズを向けている写真師のまえで、ボタンがはずれ、ズボンがずり落ちて行く。塵《ちり》っぽいカーテンの割れ目が金色の針のように光り、リノリューム貼りの床の上にこまかい綿みたいなゴミが、ときどき虫の這《は》うように色褪《いろあ》せた唐草《からくさ》模様をつたってうごいている……。 「おい、おまえ、何を見てる。こいつは、こう持って、こっちから見るんだ」  と、井上が僕の持っている写真を横に持ちかえさせた。すると、脚の曲った長椅子の上に女が寝そべり、男が上からのしかかっている恰好になった。なるほど、うす茶色のシミのできた画面は、それでたしかに安定したものになった。しかし、ここには僕が期待していたもの、見たいとあれほど願っているものが、何一つなかった。僕が、房江や勝子や芳枝やゆかりについて空想していたものは、果してこんなものだったのだろうか。 「まるでソーセージだ。こいつは、だいぶふやけてやがるぜ」  と井上はれいのカスカスした声で、股から出ている木の根の部分を指しながら言った。僕はとたんに歯の中で胡椒《こしよう》の実がくだけるような気がした。さっき食ったサンドイッチの中にそれは入っていたのかもしれない。すると僕は、自分が棄てに行った紙包みのぐにゃぐにゃした手触りと生温さとを憶い出し、芥溜の饐えた冷い臭いが鼻のさきに漂ってくるようだった。コンクリートの肌に黒い汁がしみ出し、何でも飲みこむ大きな動物のように、それは口を開けっぱなしにしていた。 「あれをするときって、ものすごい音がするんだぜ」  と本間が子供みたいな顔に、うす笑いをうかべて言った。「まるで大風が吹いてるみたいに、すげえ音が家じゅうに聞えるんだ」  僕らは笑った。 「そんなことってあるものかい。あれのときに大風が吹いちゃ、こりゃたまらねえや」  本間の言うことを僕は嘘とも本当とも思わなかった。ただ、自分があれをすることを想像すると、そこには微《かす》かな囁《ささや》きの声しか聞えないはずであった。ものが溶けるときの、雪がつもって行くときの、花が花びらをひろげるときの、音にならない音がするだけのことだと思っていた。それがまちがっているにしたって、本間の言うことと、それとは関係ないことに思われた。 「ブタが餌《えさ》を食うときの鼻息を知ってるだろ、あれにそっくりの音が、ながーいことつづくんだ」  本間は僕らの顔を見まわしながらつづけた。僕らは、また笑った。しかしこんどは本間の鼻の穴が大きくなるのをみて、僕はブタの濡れた白い鼻先きを想いうかべた。まるでゴムででも出来ているような、レンコンをすぱっと輪切りにしたような、空気が出たり入ったりするために作られているということがあまりにも明瞭なその鼻のことを考えると、本間の言葉も急に実際的なものにおもえてきた。……しかし、ともかく笑うことは気持の好いことにちがいなかったし、笑っているとなおわけのわからぬおかしさがこみ上げて、僕らは大声で笑った。すると本間はムキになって言った。 「だって本当なんだぜ。おれだってはじめは何の音だかわからなかったんだ。だけどおれは見ちゃったんだからな。誰のを見たってことは言えないけどさ……。夜中に目をさまして、親じたちが眠っている階下の方へ」  そこまで言いかけると突然、井上が鋭い声でさえぎった。 「馬鹿、よせ、よせったら……。わからねえのか」  本間が何を言おうとしたのか、僕にもおよそ見当はついた。そいつは僕にとっても気持の悪いことだった。しかし井上の真青《まつさお》になった顔を見ると、僕は何よりも驚いた。……一方、本間はただびっくりしたように、うぶ毛のはえた口を、しばらくあけっぱなしにしていた。  旅行の間、僕はお寺へかえっても気楽だった。倫堂先生は受け持ちの組の監督について行ったし、奥さんもその間に近県の実家へ子供たちをつれて出掛けてしまったので、お寺は留守になった。かわりに坂崎さんのお寺から鎮海さんがやってきて泊ることになったが、それも二日目の晩にはどうしたことか来なかった。先生や奥さんは、ゆかりさんのことも監督者の一人にかぞえていたかもしれない。けれども彼女もこのごろでは、風呂場の屋根にのぼって柿をとっていた僕をドナリつけたようなことはしなくなっていた。  鎮海さんは坂崎さんにつれられてやってきたときは、坂崎さんが倫堂先生に話すようなことを僕らに向って話したが、坂崎さんのいないときには、いつか僕が買って押入れの奥にしまい忘れたようにほうりこんであった「のらくろ」の本を熱心に読みふけった。  僕は無論、いつもよりいっそう大っぴらに怠けた。学校からかえって茶の間で、鎮海さんのとなりで新聞を読んでいると、窓の外を大きな梯子《はしご》をかかえて勝ちゃんがとおった。本堂の屋根の具合をみに来た棟梁《とうりよう》がつかいっぱなしにしてあったのを、片附けているところだと言った。  勝子は反《そ》り身になって、胸と腹で梯子を不器用にささえながら、僕らの方をみるといくらか大袈裟《おおげさ》に、 「よいしょ、よいしょ。ああ重いこと。体がつぶれちまうわ」  と声をかけた。すると鎮海さんは、 「そんなものが何が重いんだ。そんなことで、これから嫁に行ったら、毎晩どうする気なんだよ」  と、どなりかえした。 「鎮海さんのバカ……。そんなこと言ってないで、てつだってよ」  勝子は真赤な顔をして笑いながらこたえた。それを見ると鎮海さんは満足そうに笑って、なお二たこと、三こと、何か言った。そして勝子が物置|小舎《ごや》のうしろへかくれるのを窓の内側から見送った。僕には彼等の言っていることの意味が半分ぐらいしかわからなかった。ただ何となく胸がざわめいて、自分の皮膚の表面がかわいて固くなって行くのが自分でもわかる気がした。  それに似た気分を前にも一度、味わったことがある。……まだ夏のころだった。夜おそく僕が台所へ水をのみに行くと、突然、風呂場の方から勝子が入ってきた。浴衣の胸を大きくはだけて、帯のかわりに細いひもをしめていたようだった。彼女のお乳は二つとも外側に向いて大きく張り出しており、乳首だけが浴衣の襟にかかって隠れていた。僕はそのとき彼女と何を話したか忘れてしまった。僕は古びた上《あが》り框《かまち》のうえに腰を下ろし、立ったままこちらを見下ろして話しかける勝子と、かなり長いあいだ向き合っていた。あたりはイヤにしずかで、気がつくとさっきまで石段の下の空地で「東京音頭」をやっていた人たちの物音が、いつの間にか消えていた。勝子は、ときどき小さな笑い声をたてたりしながら、いつまでも話しやめなかった。……僕には、なぜ彼女がそんなに長いこと話しつづけるのか、わからなかった。僕はただ廊下に誰かの足音がしないうちに、一度だけでも彼女の乳房をまるごと眺めたいと思っているばかりだった。勝子は話しながら、手を頭にやって二の腕を高くもち上げたり、上体をゆらゆらさせたりした。そのたびに紺色の浴衣の胸もとは、ふわりと拡がったり、また下へだらりと垂れたりした。そのくせ、どうしても乳房の乳首のところだけは、まるで竿《さお》の先に洗濯《せんたく》物がひっかかったまま落ちてこないときのように、浴衣の襟がかすかにかかってとれないのだ。そして横から覗《のぞ》こうとすると、彼女のふところは電燈の影になって塗りつぶされたように真黒になってしまう。と、そのときだった、僕は不意に勝子の額が汗だらけになっているのを見つけた。それは流しの上から一つだけ下っている裸電球の赤黒い灯《あか》りにてらされてギラギラ光った。すると僕は急に、彼女は一体こんな恰好でどこから帰ってきたのだろう、と思った。それまではごく自然に彼女が風呂から上ってきたところだと考えていたのだが、このお寺では、すくなくともこれまでのところ、こんなに遅い時刻に湯に入るものは誰もいなかった……。  僕はその時、自分が何を感じたかウマく言えない。おとし穴に落ちたような、そのくせそれがどんな穴なのかわからないような、変にもやもやした気持だ。いま鎮海さんが窓ごしに勝子に話しかけるのをきいたときの気分は、それとは勿論《もちろん》、別のものであるはずだ。しかし、どういうわけか赤くなった勝ちゃんの顔を見ると、あのときの汗だらけになっていた彼女の額を、「東京音頭」の太鼓の消えた変なしずけさといっしょに想い出した。そして、——似ている、と思った。  あくる日——つまり昼間、学校で本間のもってきた写真を見せられた日だ——になって、僕はようやく、梯子をかかえていた勝子がなぜ顔を赤くしたか、合点が行った。それまで頭のなかでぼんやりシコっていたものが、まるで智恵の輪がぬけるようにクルリととけた。鎮海さんは、あのことを言っていたのだ。簡単なことなのに僕は、れいの写真をみるまでは、あのことを具体的に想い浮べることができなかったのだ。そういえば、梯子をかかえた勝ちゃんの恰好は、あの写真をまちがえてタテにながめていたときに重なり合うではないか。  それにしたって梯子なんぞから、よくもあれが想像できるものだ、と僕は鎮海さんの頭のはたらきに感心した。それは暗号がとけてくるような面白さだったから、かえって鎮海さんからも勝ちゃんからも、それまで感じていたナマグサさが消えてしまった。それに昼間、写真を見たときの軽い頭痛のようなものも、もう忘れてしまった。  ただ、「嫁に行ったら毎晩……」という言葉には、まだ何かが残っていた。それは本間のいった「大風」や「ブタの鼻息」と同様、何か僕の予想したものが裏切られ、踏みにじられて行く感じのものだった。あのことが朝、昼、晩、くりかえして御飯を食べるように、毎日、行われうるものだろうか。それを憶うと僕は、あの写真の女がはいていた靴には泥はついてはいなかっただろうかと思うのだ。あのスケート靴みたいに高く編み上げた靴で彼女は、街の通りや、草原や、洗濯水のながれているコンクリートの上を踏んで歩く。石段も、絨毯《じゆうたん》も、油のひいてある廊下の板貼りも、みんなあれで歩く。そしてフカフカした寝台のなかでも、まだあの黒光りのする皮の靴は彼女の足をシッカリつかまえて放さないわけだ。かんがえただけでも僕は窮屈になり、あの尖《とが》った頑丈な革のさきが、れいの木の根っこのようなニョロニョロしたものを傷つけはしまいかと怖れる。……まったく何だって彼女は、あのとき靴ぐらい脱いでしなかったのだろう。写真をとるために時間を急がされたのだろうか。それとも結局のところ、靴は脱いでも脱がなくても、同じことなのだろうか。僕はふと、抹香のにおいに包まれてあれをしている先生のことをかんがえた。先生も奥さんも細い金の金具のついた眼鏡をかけている。眼鏡と眼鏡がぶっつかり合うことは不便だから、あのときにははずすかもしれない。しかしそれでも仏壇から漂ってくるにおいをとめるわけには行かないから、しめった灰のような、物淋《ものさび》しいにおいに浸ったまま先生はあれをつづけるだろう。先生ばかりじゃない。肉屋は肉の臭いを、魚屋は魚の臭いを体に染みこませたまま、あれをするわけだ。  何にしても僕は写真をみたおかげで、あのことをいままでよりも、ずっと現実的にかんがえるようになったことはたしかだ。  その晩、僕は夕飯のおわったあとで、お茶をのみながら、ゆかりと勝子に写真の話をしてやった。まさかと思うが、万一ゆかりの口から先生に話がつたわったりするとこまるので、ずっと前によその学校の生徒のもっていたのを見せてもらったことにした。女たちは僕の話を、予想以上によろこんできいた。 「ふわあ、すごい。中学生って、そんな話を学校へ行ってするの」  と、ゆかりは眼をかがやかせて言った。そのくせ彼女はきいてみると、そんなスゴイ話を僕なんかより、ずっとたくさん知っていることがわかった。彼女は婦人科医の診察や治療の様子をよく知っていて、ことこまかに話しはじめた。細長い、さきの曲った管や、ピンセットや、ギザギザのついた鋏《はさみ》が、やわらかな肉のくぼみの小さな穴の中に挿入《そうにゆう》されるというのは、おもっただけでも怖ろしいことだが、また何だかウマく出来すぎた話をきかされているようでもあった。彼女は言った。 「その管の棒をな、すうっとな、なかの方へ押しこめて行くと、やがて管の反対がわの方から、水みたいなもんがポタポタ落ちてくるんだと……」  それを聞くと不意に僕は頭のシンが熱くなり、下腹にどしんと燃えている玉のようなものがぶっつかった気がした。 「ウソだあ、そんなこと」  僕は昂奮《こうふん》して、たいした意味もなしにさけんだ。 「ホントよ、ホントにそうなんだってさ」  ゆかりは真赤な顔で、必死になって、こうこたえた。僕は、いまにも彼女が自説の正しさを証明するために、みずから実験台になろうと言い出しはしまいかと胸が沸き立った。——そうなってくれればいいのにと思うこころと、そうなったらどうしようというマゴツキとで、体じゅうがいっぱいになった。そのくせ僕は、そんなゆかりさんよりも勝子を患者にしたてた実験の方を、心のなかでは想いえがいた。……勝子がゆかりさんよりも慎みぶかいなんてありえないことだが、どういうわけかその晩、彼女はゆかりさんの話をそばで熱心にきいて、ときどきメンドリみたいな声を上げて笑ったりしながら、自分の方からはほとんど何も話さなかった。話をききながら、じっと俯《う》つ向いているときの勝子の顔は、僕に便所でホオズキを噛んでいる彼女を想い出させ、それを患者にふさわしいと思ったのかもしれない。  旅行がおわって、みんなが学校へかえってくると、僕らの組から十人ばかり人数がへってしまった。ブルドッグは教壇の上から、悲痛な顔で、 「ぼくは、みんながもっと上品な家庭にそだった子供だと思っていた。都会の中学校の生徒があんなことをするとは考えられないことだ……」と言った。  あんなことというのは伊香保の旅館で、みんなして滝村をふとん蒸しにしたうえカイボウしたことをいうのだ。それで主謀者の沢井以下、十人ほどのものが一週間の停学処分をうけたのだ。僕には、急にガランとしてしまった教室の中で首をうなだれたブルドッグのやわらかな声が、独唱会で挨拶をする声楽家の声のようにひびいてくることが、へんに滑稽だった。それに、ふとん蒸しだの、カイボウだのと、いまさら何でそんな子供っぽいことをしたのかと不思議な気がした。ただ、やっつけられたのが滝村だったということは、痛快なようにもおもわれたけれど……。  ほかの組にも何人か停学をくった連中がいた。それは旅行中、喫茶店へ入ってタバコをすったりしたためだ。ブルにしてみれば、そういうことをやってくれた方が、まだしも許しやすいといいたいような口ぶりだった。しかし僕には、そんなこともまるで興味がなかった。休み時間にとなりの組の本間と井上に廊下で出会った。本間は、 「おれたち、旅行へ行かなくてよかったな、行ったら危いところだ」  と、てのひらで首を斬るマネをしてみせながら、うれしそうに笑った。 「馬鹿なやつらさ、よりにもよって旅行みたいなときにガツガツしやがって」  井上は、れいの低いカスれた声で吐き出すように言った。しかし僕が「ふとん蒸しは幼稚だとおもう」と言ったら、本間がそれをさえぎって、「あれは、ふとん蒸しといっても普通のやり方ではなかった」と言った。みんなして滝村をつかまえてマスターベーションをやらせたのだという。……僕は、それでブルドッグがあんなに悲痛な顔をしていた理由が納得できた。しかし、だからといって僕はブルにも滝村にも同情する気にはなれなかった。自分のクラスに起ったことを、となりの組のものからはじめて聞かされるというのは愉快ではない。僕は冷いポマードのにおいのするブルの顔を憶い出しながら、ざまを見ろと思った。たぶんブルは、僕を旅行につれて行かなくてよかったと思っているであろう。余計な厄介ものが一人でもすくなかったことは、まだしもさいわいだったと考えているにちがいない。僕自身も、そう思う。もし僕が旅行に行っていたとしたら、仮に何もしなかったとしても、きっと事件の主謀者のように扱われていたにちがいない。  ところが僕はマスターベーションは嫌いなのだ。一度やるとやめられなくなるとか、頭が悪くなるとかいう話だが、そんなことのためではなく、ただ僕はあれをする気にはなれないだけだ。じつは二度ばかり、やりかけたことがあったけれど、途中で二度ともやめてしまった。とにかく、あれをやりはじめると、剥《は》げかけた壁の肌だの、汚れた襖《ふすま》に折紙のツルの模様のついていることだの、手垢《てあか》で光った床柱だの、そんなものばかりがやたらに眼についてしまうのだ。気を散らさないために眼をつむると、こんどはまるでお祈りでもしているみたいな気になって、まぶたがピクピクうごきだし、そうなるともう我慢できなくなってやめてしまう。あとには、へんにわずらわしい後悔がのこるだけだ。おれには、あれをつづけてやるだけの根気もないのだろうか、などと。  教室で、滝村はみんなの顔をよけているように見えた。停学をとかれた連中が学校へかえってくると、殴られるのが心配だからだともいうが、そんなことよりも僕は滝村の顔をみると、ひとりでにあのことが頭に浮び、ねずみ色のじゅくじゅくした壁や、フスマの紙の破れ目などが、元気のない眼をキョトンとさせた滝村の顔と重なり合って見えてきて、おもわずこちらの方から眼をそらせてしまうのだ。  しかし、この事件のおかげで僕が学校で、これまでよりもいくらかマシな生徒のあつかいを受けるようになろうとは、思いがけないことだった。  倫堂先生は、留守中の僕が何も事故を起さなかったことのホウビとして、日曜日に動物園につれて行ってくれることになった。いくら僕が「おくて」だとしても、これは先生の考え過ごしだった。どうせホウビに遊ばせてもらうのなら、映画か宝塚《たからづか》のレヴューの方がよかった。先生はナデ肩の旧式のセビロに、ツバの上った時代ものの中折帽子をかぶり、これもよそゆきの花飾りのついた洋服をきた房江ちゃんをつれて、僕と三人、手をつないで出掛けた。……僕は父や母に手をひかれて日曜日に街へ出掛けた子供のころを憶い出さないわけには行かなかった。それは僕にとって気の滅入ることなのだ。大勢の人波にもまれてウロタエたり緊張したりしている父や母をみていると、僕は子供ごころに不安になり、情なくなり、おしまいにはイライラして泣き出したくなる。「おかしな子だね、この子は。グズグズ、グズグズ、文句のいいどおしじゃないか。もう連れてきてやらないから」と、母はつないでいる僕の手の甲をイヤというほど抓《つね》り上げる。僕はいっそうワメき出す。父が頬を真青にして僕をにらみつける……。  実際、倫堂先生の褪《さ》めたフェルトの帽子は僕の父親がかぶっていた帽子にそっくりだった。軍人である僕の父親と同様、坊さんである先生も、外へ出るときには、いやでもこの帽子をかぶらないわけには行かないのだ。この先生と、女の子を中にはさんで歩いていると、僕はいまは自分が母親になった錯覚を起す。  僕は房江の手をシッカリとにぎって、人混みを掻《か》き分けながら檻《おり》の中の動物をさがして歩くことに、たちまち倦《あ》きてしまった。どの檻も、ただくさいばかりで、いっぴきいっぴきの動物には何の変化もないようだった。先生はときどき僕の方を見て笑いかけた。そのたびに僕は満足しているというしるしに笑いかえさなければいけないと思うのだが、もうそれも出来なくなった。蛇の檻まできたとき、僕はあやうく握っている房江の汗ばんだ手をはなしそうになった。すると、夏のはじめにこの子をつれて散歩に行ったときのことを、急にアリアリと憶い出した。錦蛇《にしきへび》は暗いあなぐらの奥で、体をぼろ布のように折りまげたままうずくまっているだけだったせいか、そこにはほとんど見物人はいなかった。僕は怖ろしさと同時に不思議な感動で立ちどまった。この手も脚もない動物は、かんがえられないほど複雑な姿勢でうずくまったまま、眼に見えぬゆっくりした速度で、すこしずつ躯《からだ》を穴の奥へうごかしているのだ。僕はインドの旅人が曠野《こうや》で陥《お》ちこんだ古井戸のはなしを憶い起し、いまにも自分がその中にひきずりこまれて行きそうな気がした。——いったい、あれは何だろう。あの古井戸の中にはなぜ蛇がいたのだろう。たとえばなしにしたって井戸の中にいたのが、どうして虎《とら》や山犬ではなくて蛇だったのだろう。 「周ちゃん、行こうよ……」  房江が僕の手をひっぱった。僕は、あの青草の臭いにかこまれた台地でのことが、まだ頭からはなれないで、おもわず自分の手をひっこめた。——おれは何で、あのとき、この子にあんなことをしてしまったのだろう、僕は自分自身につぶやいた。  房江はけげんそうに僕を見上げた。——この子は、もうあのことはすっかり忘れちまってるんだ、そう思うことに決めた。 「ねえ、行こうよったら……」 「ああ、行こう」  僕は機械的にこたえて、ふと後をふりむいた。すると倫堂先生が蛇の檻からはなれた日なたに一人たたずんで、前ツバの上った帽子をあみだにしながら、真赤になった顔をしきりにハンカチで拭いているのが見えた。  その日、かえりがけに先生は洋菓子屋の二階の喫茶室で、僕にケーキとアイスクリームを御馳走してくれた。     *  冬がきて、春がきて、また学年試験がちかづいた。僕の成績は去年にくらべて良くなっているとは絶対にいえなかったから、ことしも落第点の成績で仮進級をみとめてもらうことしか考えられなかった。母は僕を家庭教師につきっきりで勉強させる約束で、ひと先《ま》ず帰宅させる運動をしたが、たまたま父がF県へ転任になったので、僕はこれまでどおり保成倫堂先生のお寺におかれることになったのだ。  納戸のうらの崩れかかった部屋も、二度目の冬はもうそれほど寒いとは思わなくなった。正月の三日間、F県から出てきて東京の親戚《しんせき》の家に滞在していた母のところでいっしょにすごしたほか、冬休みもずっとお寺でくらした。親戚の家に厄介になっているよりは、どんな陰気な部屋にしろ自分一人でいられる方がずっと好かったからだ。それに外へ出てみる気にも、あまりなれなかった。このごろでは何か憑《つ》きものでもしているみたいに、慣れないところへ行くと、きっとロクでもない失敗ばかりやらかすからだ。省線電車の窓から帽子を吹き飛ばしてしまったり、工場の薬品の水の溜っているマンホールに落ちて腰から下を大《おお》火傷《やけど》しそうになってみたり、普通では考えられないような目にばかり会うのだ。正月にも本間の家へ遊びにくるように誘われたが、途中で腹が痛くなり駅の便所に入ったところ、買いたての定期券を水の流れ放しになっている便器の中に落してしまった。  こういう起らなくてもいいような事故が、たてつづけにふりかかってくるのは、たぶん僕が不注意だからだろう。しかし、いくら注意したいと思っていても、いや逆に注意すればするほど思い掛けないところがポッカリぬけてしまうのだ。定期券を落したときだって、便器の底に大きな穴があいており、その下をゴウゴウと川のように水の流れている型式なので、こんなところに大事なものを落したら絶対に拾えないなと考えている最中に、ぽとりとセルロイド製のパス入が胸のポケットから滑りおちてしまったのだ。僕は口をきく気にもなれないほど悲観して、凍りついたアスファルトの路《みち》を二時間ほどアテもなしに歩きまわっただけで、とうとう本間の家には行かずに帰ってきた。  お寺のなかにじっとしていれば、そんな間違いが起らないだけでもマシだった。いつの間にか僕は、この家の陰気な空気にシンまで染まってしまったのかもしれない。ゆかりさんや勝ちゃんは、このごろでは気のおけない友達で、勝子に「周ちゃん」と呼ばれることは極《ご》くあたりまえに感じられる。  ところで僕は、お寺でひとつだけものにしたことがある。それは逆立して歩き廻ることだ。……その日も僕は学校からかえると何となく本堂へ行った。そこへ行ったって何もないことは、もうわかりきっているのだが、どういうわけか、朝のお祈りを別にして、一日に一度はそちらの方へ足が向いてしまうのだ。そのくせ、金色の大きな仏壇のまえの赤い座ぶとんにすわると、もう僕は落ちつかなくなる。ちょうど、|あれ《ヽヽ》をしようとするとき、壁土の肌だの、褪《あ》せてケバ立った襖《ふすま》の模様ばかりが妙にはっきり見えてきて、どうしても続けられなくなるように、仏壇に向い合うと僕はそれの中身がガランドウだということが、気になってたまらなくなる。——せめて、眼のまえでお茶碗がひとりでに動き出したり、天井から吊《つ》る下っている金塗りの天蓋《てんがい》がどさっと落っこってきたり、というようなことでも起ってくれたら、と思いたくなる。いや、そんなバチ当りのことではなくても、ただ体を持ちあつかってしまうのだ。お経が読めなければ、でんぐり返しでも、歌をうたうだけでも、とにかくただジッとしてはいられない……。しかし、その日も、やってみる直前まで自分に逆立ちなんて出来ようとはおもってもみなかった。跳び箱も、跳び板も、おもいきりよくは跳びついたことのない僕なのだ。畳の上に手をついて、ただマネだけするつもりだったのだ。するとどうだろう、二三度、跳ね上げているうちに、どうまちがったのか足が宙に浮いたまま、もどってこなくなってしまった。いきおいがつきすぎて前のめりになろうとする体を支えようと、ほとんど無意識で畳についた手を前に出した。一歩、二歩、三歩……。一瞬、眼がまわって、畳の目だの、天井の格子だの、赤い木魚だの、あたりのものが様ざまの角度からパッと飛びこんできたかとおもうと、僕は畳の上に倒れていた。  ちっとも痛くない——、僕は自分の体をあらためて眺めなおして、そう思った。肩や腕から、すうっと重いものが脱《ぬ》け出して行くのがわかる。  二度、三度つづけているうちに、僕はこの運動にとり憑かれた。あくる日から毎日、ひまさえあれば僕は逆立ばかりするようになった。進歩ということが、ようやく自分でも合点が行った。本堂を横に端から端まで歩けるようになると、次は左廻りで四角く一周することに成功した。それがおわると右廻り。往復ターン。ここまでくると、もうあとは自由自在に歩けるのも同然だった。……そのころには僕は学校でも、運動場や屋上に出ると逆立せずにはいられなくなった。百メートルのトラックを半分以上も、逆立のままわたって見せると、上級生までがびっくりして自分たちの運動をやめてしまうぐらいだった。  教室の授業はあいかわらず退屈だったが、学校へ行くことはそれほどイヤではなくなった。別段、面白いというほどではないにしても、まえにくらべて窮屈なところがなくなった。ことに停学を許された連中がかえってきてからは、そうだった。みんなは、やっと家庭からはなれて、学校へくるとそれぞれの地金をみせてきた感じだった。  停学組は、なんとなく彼等だけのグループをつくっていたが、僕はこれまでどおり彼等とも彼等以外の連中とも同じ程度につき合った。つまり、どちらのグループとも大して仲良くもなかったかわり、反目もしなかった。そんななかで奇怪なのは停学組の組長格の沢井と、停学の原因をつくった滝村とが、いつもくっつくように一緒になりはじめたことだ。二人の間柄は、あの上級生が下級生を可愛がるやり方に似ていたが、なぜそういうことになったかはクラスの誰もが不思議がった。なにしろ沢井は、みんなのいるまえで突然、 「滝村って名前は、じつに奇麗な感じのする名前だよ。そう思わないか」  などと言いだすので、僕らは面喰《めんくら》ってしまうのだ。おまけに、そういうときの滝村はへんにシトヤカな、まるで女学生がオナラでもしたような態度で俯つ向いたりするので、いよいよ奇妙だった。停学組の連中は沢井のいないところで、「おれたちはまるで沢井のダシにつかわれたようなものだぜ」と言いながら、れいのふとん蒸しの時の滝村の様子がどんなだったかを、その顔つきや叫び声の口真似までいれて何度も語り合うのだが、僕にはそんなことが何で面白いのかサッパリわからなかった。  三学期にはいってからは、四年生以上は受験勉強が忙しくなるので、それまでは触れなかった屋上にある天文台の望遠鏡を僕らもかなり自由にいじれるようになった。すると、みんなは堀端のS高女の方に望遠鏡を向けて大騒ぎするのだが、僕にはこれも興味がなかった。彼女らは、僕らと途中までは同じ駅から学校までのみちを、いやに自信ありげに脇目もふらずに歩いて行くだけだ。それは望遠鏡をとおして見ても同じで、いかにも遠いところにあるという気しかしない。……そんなものよりは僕はむしろ、たとえば電車で前の吊り革に下っている女のひとの、腋《わき》だとか、鼻の穴だとかを覗いたり、セーターの下の胸やお腹のふくらみを眺めることの方が何倍か興味があった。そのかわり、そういうものに気をとられている自分の心を、僕は誰にも知られたくなかった。だから、みんなが、 「あ、好いのがいる」  と声を上げたりすれば、僕もみんなのあとから望遠鏡にしがみついてみることにしていたが、それはまるで地理の時間に先生が「きれいな景色だ」といって見せる写真を覗いてみるのと変りなかった。  土曜日に、本間が「井上のところへ行かないか」と誘った。  そういえば、ここしばらく井上の顔を見ない。組がちがうから会わないことだってあるわけだが、僕は何となく気になって、そのことを訊《き》いた。すると本間は子供っぽい丸顔を、にやにやさせながら、たしかに井上はこのごろ学校に来ていないと言った。そのことで昨夜井上から電話である薬を持ってくるようにたのまれたので、きょうはそれを届けに行くのだという。——それは水銀か、と訊くと、本間はまたにやっと笑って、ちがう、とこたえた。僕は別に、それ以上、訊く気にはなれなかったから、訊くのはやめた。  僕が井上のことで気になったのは、じつは二学期の学期試験の日に、かえりがけの電車で井上といっしょになったときだ。いったんC駅で下車して、おたがいに方角のちがう乗り換えのホームへ行こうとすると、いきなりK商業の制服をきた五六人の大きな生徒に取りかこまれてしまった。みんなツバの短いメリケン帽を眼深《まぶか》にかぶり、カバンは持っていなかった。井上は、れいのカスれた小声で彼等とやりとりをしはじめた。連中のなかに僕を眼顔で指しながら何か言いかけそうにする者がいたが、井上は「まあ、まあ」と、彼等の肩を叩きながら、また僕には聞えぬ小声でしばらく何か相談した。 「やつらは、おれたちと喧嘩《けんか》をしないかと言っている」  と、井上は彼等と別れて僕のところへ近づくと言った。「よかったら、やってみせてもいいぜ。あんたはただ、そばに立って見ているだけでもいい」  井上の顔は、たしかに緊張していたが、わけのわからぬウス笑いのようなものも浮んでいた。連中は黒いかたまりになって、こちらを待ち遠しそうに眺めている。「勝てる?」と僕は訊いた。「勝てるにきまっているさ。あいつらは図体は大きくても、まだ喧嘩のやり方をまるきり知らない」と井上はこたえた。それをきくと僕は、なぜか井上の言うことが何もかも嘘のように思えて、「喧嘩はやる気がない」と言った。すると井上は、ひどくアッサリ、「じゃ、おれはやってくるから」と言うなり、K商業の連中といっしょにホームの階段を上って行ってしまったのだ。……それ以来、僕は井上と会っていない。で、本間といっしょに井上のところへ行くことにした。  井上の家は、これまで僕の足を向けたこともない方角にあった。しかし本間はまえにも何度か行ったことがあるらしく、電車の乗り換えの手順もよく知っていた。みちみち本間は彼の家の書生がよく行くという奇妙な家の話をした。そこへ行って、お金さえはらえば女がどんなことでもしてくれるという……。かねて僕は誰に知らされるともなく、そういう家がきっとどこかにあるだろうとは思っていた。しかし本間の口から、そんな家が実際に、ほとんど東京じゅうのいたるところにあるのだと聞かされると、かえって信じられないようでもあった。本間は言った。 「高いのは五円のも、十円のもあるけど、普通は一円五十銭なんだってさ。御飯を食べると二円になるそうだ」 「ごはん?」  ごはんと聞くと、僕は急に口じゅうに生ツバが溜ってくるような気がした。桃色の舌の上にのっかっている白いニチャニチャしたごはん粒と、女のあそことがいっしょくたになった感じで、胸がむかむかしてくる……。しかし、そのあとからすぐに僕は、十円と五円と一円五十銭の差は、どういうところにあるのだろうと思うのだ。一円五十銭なら僕らが普通つかう万年筆の値段だが、五円のになるとピカピカした金具がたくさんついたやつだし、十円のは別の棚に並んでいる舶来のペンだ。僕はブルドッグがかぶっているイタリヤ製だという緑色の帽子を想い浮べた。それは体にくらべて不釣合いに大きく、うしろから見るといつもアザヤカな色の帽子だけが歩いて行くみたいだ。いくら上等のものでも、あんなことになるのじゃがっかりだ。  要するに僕は、本間のいうことを全部本気に受けとる気にはなれなかった。いや本間のいうことが嘘ではないにしても、そこにいるのは僕がいつも考える女のひととは何から何までくいちがった、どすぐろい肌にブツブツのある、顔を覗いただけでも逃げ出したくなるような、そんな妖怪《ようかい》じみたものが想像されるのだ……。だが本間は何だって、こんな話をしはじめたのだろう。彼の口ぶりからすると、何だか今日これから井上が、そんなふうな家のどれかに僕らを連れ出そうとしているらしくもある。  道がひどく混み入って、わかりにくくなってきた。地べたのうえに、折れて錆《さび》ついた釘《くぎ》や、こわれた電球のシンみたいなガラス管なんかが、やたらに散らばっている。道幅が狭くなるにつれて、僕の不安はつのってきた。さっき考えたことが当るんじゃないか。洗濯屋があった。濡れた布地の蒸れる重苦しいにおいといっしょに、甘いような、エガラっぽいような臭いが、そこいら一帯に溜ってよどんでいる。しばらく行くと、小さな工場のような黒いトタン塀《べい》が見えてきた。その囲いのなかに井上の住んでいる家があると、本間は言った。 「井上のやつ、いま一人でくらしているんだ」 「どうして」 「火事で、家がまる焼けになっちゃったからさ」  僕には本間の言うことは、とっぴょうしもない感じがするだけで、よくわからない。ただ井上の身のまわりがゴタゴタしているのだろうとは思った。 「へーえ、じゃ、火事の焼け跡に井上が一人で住んでいるわけか」  僕はトタン塀のわきの、歪《ゆが》んだくぐり戸をぬけながら言った。 「馬鹿だなあ、ここはそうじゃないよ。……だって井上の家はお寺なんだぜ」  本間の言葉に、僕はびっくりして思わず訊きかえした。 「本当か」 「しらなかったのか」  本間はなぜかオドオドした顔になって言った。すると僕も、聞いてはならないことを聞いてしまったような心持ちになった。と同時に、これまで井上の言ったり、したりすることに、何となく腑《ふ》に落ちなかったようなものが、いっぺんにわかってくる気がしてきた。最初、講堂で会った日に、僕が和尚《おしよう》さんのところにあずけられていることを話したときの井上の顔つきや、それから何とない親しみをみせはじめたことなど……。それは何でもないといえば何でもないことかもしれない。けれども、いままで井上が自分の家の職業のことを一と言も僕に話さなかったというのは、やっぱりそこに何かがあるからだとしか思えない。白足袋の足でシュッシュッと畳の目を鳴らしながら本堂からかえってきた倫堂先生の眼が、ふと僕の眼とぶっつかる、と先生の顔には言いようのない狼狽《ろうばい》の色があらわれる。いったんキョトンとみひらいた眼玉が、急に逃げ場を失ってマゴついてでもいるみたいにキョロキョロとうごいたかとおもうと、ぱっととまって僕の方を見つめ、それから妙に芝居じみた声でドナる、「吉松、そんなところで何をぶらぶらしている、勉強をするんだ、勉強を……」。僕には、なぜ先生がそんなふうにあわてるのか不思議だった。しかし、いま井上の家がお寺だということをきかされて、僕自身もやっぱり、あわてているではないか。  なぜなのだろう。——井上には、倫堂先生とちがって坊さんの子供らしいところは、ちっともない。倫堂先生はころもを脱いでセビロに着かえ、まるめた頭にソフト帽をかぶって、坊さんらしくない恰好をすればするほど、何となくお坊さん臭い感じが余計にしてくるのだが、井上はどこから見たってマッコウ臭い感じがしない。けれども、それだけに一層、井上の家が坊さんの家だときくと、僕はソラ怖ろしいような気がしたのだ。まるで自分の体が一どきに顔から胴から手脚までムクムクした毛で包まれてしまったような、人間が眼のまえで生れ変るのを見せつけられるような、変テコな心持ちにさせられたのだ。……井上は別段、僕に嘘をついたのでも、隠しだてをしたのでもない。ただ自分の家のことなんか話すこともないから、話さなかったというだけだ。それに自分の家が坊さんだって、ちっとも悪いわけがない。しかし、もし仮に、僕が坊さんの子供だったとしたら、それを他人に隠さないだろうか?  井上は、階下が工場か物置みたいなものになっている風変りな建物の二階にいた。本間が下から声をかけると、窓から首を突き出して、 「よう」  と、僕らの方を眺め下ろして、ゆっくりこたえた。そして手振りで合図しながら「いま行くから、そこで待ってろ」と言った。  おりてきた井上はエビ茶色のトックリ・ジャケツを得意そうに着こんでいた。C駅で別れたあとの喧嘩で怪我でもしていたのじゃないかと思って、そのことを訊くと、井上は笑って、「あんなものは、いくら大勢でかかってきたって同じことで、たいした奴らじゃない」と言った。「——話をつけてやればいいのさ。あいつらの親分は、おれのよく知っているやつだもの」  僕は喧嘩のことには、これ以上首をつっこみたくなかったので、井上の話はただ黙ってきいていた。  本間は持ってきた薬をわたした。白い布に包んであるので中身は何だかわからなかったが、井上はにやっと笑っただけでそれを受けとった。 「家が焼けたんだって?」  と僕は訊いた。 「ああ、学校の道具から何から、みんな焼けちゃったよ」  と井上は、まるでよその家のことのようにアッサリ言った。僕は、火事の模様をもうすこし聞きたい気もしたが、そうなると井上の家がお寺であることも聞かなければならず、気が重くなってまた黙った。すると井上は、下唇から金歯をのぞかせるように笑いながら訊いた。 「学校の方はかわりないか。和尚さんも相変らず元気か」 「ああ、べつに変りないよ。和尚さんの授業はますます眠いよ」  僕はこたえながら、何となく井上が学校をやめる気でいるのではないかと思った。骨ばって、顎《あご》のしゃくれた井上の顔は、ふだんより黄色味がかって、ひどく疲れているように見えた。  井上は自分の部屋に上ったって何もないから、喫茶店へ行こう、と言った。——それなら、と本間が制帽とカバンとをあずけようとすると、井上はそんな心配はする必要はない、帽子もかぶらずに歩いていると、かえって補導協会に怪しまれるから、と止めた。三人は、枯れかかったヒバの垣根や、コールタールを塗った塀にそって、ほこりっぽい道をかなり歩いた。  僕は喫茶店へ行くのは、はじめてだった。停学組の連中は「ポパイ」という家へ行くらしく、その名前だけは知っていたが、僕はべつに興味はなかった。電気蓄音機の鳴っている薄暗い部屋にコッソリ集って、ときどき外を通りかかる学校の先生や、補導協会を見張りながら胸をドキドキさせているというだけでは意味がない。それよりも、どういうわけか僕は一度校長によばれて学校の応接室に来たときに見憶《みおぼ》えた井上のお母さんの顔を想いうかべていた。背の小さい、色の白い、日本人形のような顔つきのひとで、うす茶色の着物に黒い帯をしめていた。上ばきのスリッパをはかないで、油の滲《にじ》んだ廊下を白い足袋のまんまで歩いていたのをおぼえている。それは僕の母親とも、倫堂先生の奥さんとも、ちがった感じのひとだった。井上はどうして、あのお母さんとはなれて暮らすことになったのだろう。井上は僕と同じで一人っ子だということを聞いた。もし僕が、あのひとの子供だったとしたら、どうだろう。やっぱりいまのように、ぐずで、なまけもので、先生の家にあずけられるようなことになっていただろうか。僕は、五重ノ塔なんかのある大きなお寺の、うす暗闇の本堂に井上のお母さんが一人で横になっていることを考えた。すると突然、胸の底から何かわからないものが突き上げてきそうになり、眼のまえの白っぽい石コロだらけの道が、たまらなくイラ立たしくなってきた。 「ここだよ……。おや、誰もいねえのか」  と井上は、道ばたに汚れた回転窓を向けている家へ僕らを案内した。なるほど、そこには誰もいなかった。こわれかかった椅子が、でたらめに並んでおり、回転窓から射しこむ西日が汚れたクリーム色の壁と、ほこりまみれの酒瓶《さかびん》がいくつか並んだ棚を照らしつけているだけだった。  僕はちっとも期待していなかったくせに、やっぱり、ガッカリしてしまっていた。ことによると来る途中で本間から聞かされていたような家へ連れて行かれることをひそかに願っていたのだろうか。そうかもしれない。けれども、もしここに井上のお母さんが出てきてくれるとしたら、そして前の椅子に坐っていてくれるとしたら、その方が好かったことはまちがいない。 「何か飲んでみるかい」  井上は酒の瓶の並んでいる棚の方を指しながら言った。本間と僕は顔を見合せたまま黙った。すると井上は急にイラ立ったように、 「お茶ぐらい、おれだって沸かせるぜ」  と、奥のカーテンの仕切りの向う側へ一人ではいって行ってしまった。 「どうする——?」  本間が小さな声で言った。「あいつが怒ると、こわいんだぜ。気ちがいみたいになって、何をするかわからないんだ」 「そんなことはないだろう。あいつはまだ怒っているはずがないよ」  僕は大した確信もなしに言った。ただ井上が怒るとしたら、もっと他のこと——。たとえばいつか本間が「あれをするときは大風が吹くみたいな音がする」と、階下の両親の寝室の方へ行く話をしかけたときのような——、ああいうときにちがいないと思っただけだ。  しかし本間はひたすら井上を怖れている様子だった。井上のいれてきた紅茶を半分飲むか飲まないうちに、もう椅子から立ちかけては、こころ細そうに坐りなおすのだ。すると僕にも、この部屋のへんに手持無沙汰な空気がだんだん殺気立ってくるように思えはじめた。井上は、ただマブシそうに眼を細めて、れいの下唇のあい間から覗く金歯を西日のなかで光らせながら、アイマイなうす笑いをうかべているだけなのだが……。井上がなぜ笑うのか、僕にはわからない。ことによると本間や僕がビクビクしているのが面白いので笑うのかもしれない。しかし、またことによると、そういう落ち着かない僕らを何とかして落ち着かせようと、いっしょけんめい笑い顔をつくっているようでもある。どっちにしても僕らが帰ってしまえば井上は、このガランとした部屋で一人になって残されるのはたしかだからだ。  とうとう本間は、すうっと椅子から腰をうかせると、今日はこれで帰る、と言った。僕も同じように椅子から立った。井上は、べつに引きとめようともしなかった。本間に薬の礼を言うと、僕にはただ笑ってみせただけで、椅子に坐ったまま手を振った。 「じゃ、また」 「じゃ、……」  僕らが出口の扉をあけようとしたときだった、井上はおもいついたように本間を呼びとめた。 「本間、よかったら、またやって来いよ。ここの二階でおまえのよろこびそうなことができるぞ」  本間はちょっと、うれしそうな顔になって、雨もり跡が黴《かび》で緑色のシミになっているシックイの天井を見上げたが、外へ出るとまたもとの、こわばった顔になった。  お寺のそばまでかえりついた時には、もうあたりがすっかり暗くなっていた。  僕は、ひどく疲れて、憂鬱だった。かえりがこんなに遅くなるとは思っていなかったので、倫堂先生や奥さんに言い訳することばも考えなくてはならない。だが、じつのところ僕はもう、そんな工夫をこらすのさえ面倒臭かった。  結局のところ僕は今日、井上のところへ何のために出掛けたのだろう。本間に誘われたからだろうか、C駅で別れたままの井上のことが気になったからだろうか。はっきりしているのは、いま自分がガッカリする程くたびれ切っているということだけだ。  僕は、あの井上が別れしなに本間に言ったことばを、いまになって急にナマナマしく憶いうかべていた。あのシックイの割れ目に暗い緑色のシミをつけていた天井の裏側で、何が行われているのかはしらない。けれども、あそこにはきっと何かがあるのだ。僕はまた台所との境い目の、湿った手垢《てあか》でどろどろになったような焦茶色のカーテンを想い出した。あのカーテンの裏側から、いつもならきっと化粧した女の顔がのぞくにちがいない。それが今日にかぎっていなかったのは、僕に運がなかったせいではないか。  道が石段にさしかかると、あたりは一層暗かった。両側から大きな樹の枝が覆いかぶさって、一段上るたびにまるで黒い幕に鼻の先を突っこむようだ。ここまで来ると、もはや胸のなかに重苦しくつかえていたものが、不運を嘆く後悔の念から恐怖心そのものに変ってしまったことを感じた。西日を浴びた井上の顔がふと想いうかび、その唇の皮が白く乾いて、眼玉がほこりをかぶったビーダマのように光っていたことをかんがえると、あいつは、どうして自分の家へ帰らないんだ、と、ひとごとではなくイライラしてくるのだ——。小柄で、色がすきとおるように白くて、首筋のすっきりした髪を結い上げていた井上のお母さんが、学校の廊下を足袋はだしで歩いていたことをおもうと、実際なんだって井上は、あのお母さんをおいて、あんなところで、あんな暮らしをしているのだという気がする。  それは、この僕が、こんなことを考えるのは変だということぐらい、わかっている。けれども、それとこれとは違うのだ。このお寺にはじめてつれてこられたとき、石段を上りながらデコボコの段々に蹴《け》つまずいて母は、キンキン声で僕を叱りつけながら、よろけた体を僕の肩にぶっつけてきた。「おまえは、あたしをイジメたいんだね。そんなにナマケて、あたしが困るのをみるのが、おもしろいんだね」……。井上のお母さんは、やっぱりあんなことを言うだろうか? ところが井上は、僕とちがってナマケモノではない。赤表紙のオノケイの英単語集を誰にも言われないのに自分一人で暗記している。それは僕には合点の行かない勤勉さだ。学校がきらいで、家に落ちついているのがきらいで、それでいて勉強をすることだけが、どうしてイヤでないのか? もし僕が井上ほどの勤勉家だったら、決して学校がきらいになんかならないだろうし、お母さんに文句を言われることも、よそへあずけられることもないだろう。……しかし、そこまで考えて僕はふと、井上の家が火事で焼けてしまったのだということを憶《おも》い出した。  家が火事になるということ、それがどんなことなのか僕にはわかりようがない。僕の家だって、いつ火事になるかはわからないことにしろ、何だかそんなことはメッタに起りっこないという気がする。僕には井上が勉強がきらいでないくせになぜ家にいつかないのかわからないのと同じぐらいに、なぜ井上の家が火事になったのかもわからない。……そのくせ僕は、お寺が火事になるということなら、何だかアタリマエのような気もするのだ。火が燃えて、本堂のそり返った屋根が真赤になって、大きな火柱に包まれて崩れ落ちるということが、眼に見えるほどハッキリわかる気がする。……僕は別に、ここのお寺も火事で丸焼けになったらいいなどとは思わない。いや、ここのお寺は、じゅくじゅく腐って、ぐしゃりと潰《つぶ》れる日のくることはあっても倫堂先生がいるかぎり、火事で焼けてしまうことがあろうとは絶対におもえない。しかし井上の家のお寺は、これは火の中で燃えてしまって、すこしも不思議でない気がする。  石段がおわりに近づくにつれて、梢《こずえ》ごしに燈《ひ》がチラつきはじめる。門のわきに外燈が一つ灯《とも》っており、それが見えると僕は体ごと何かに掴《つか》まえられてしまうのだ。もう、よそへ行くことは許されない。お寺が火事で失《な》くなっていてくれたらなんて考えることも許されない。イヤでもオウでも僕は、和尚さんの叱言《こごと》と湿っぽい畳のぶくぶくした部屋のなかへ、帰って行かなくてはならない。そのときだった、眼のさきを白いものが横切った。 「周ちゃん?」  と勝子が呼んだ。僕は不意を衝かれて立ちどまった。すると勝子は下駄の足音をバタバタさせながら駈け出した。 「何だい」  僕は追いすがって訊いた。勝子は口に手を当てて笑いながら、外燈のあかりに僕の顔を見透かすと、彼女ははしゃいだ声で言った。 「はやく家へかえってみてごらんよ、ゆかりさんのオムコさんが来るってんで大騒ぎだからさ。あたしはここで、その人がくるのを見張ってんだよう」 「おむこさん?」 「おむこさんじゃないけれど、お見合いがあるんだってばさ」  ゆかりさんの結婚の相手をさがすことで、先生と奥さんとがいろいろ相談していることは、僕もうすうす感づいていた。しかし、その見合いが今日、この寺であるのだとは、いまのいままで知らなかった。……僕は何よりも、助かった、と思った。勝ちゃんの言うとおり、いま家じゅうがそのことでゴッタ返しているのなら、僕は帰りが遅れたことを誰にも気づかれずにすむからだ。  その晩、僕は勝ちゃんと二人だけで夕食を食べた。こういうことは、これまでにもなかったわけではないけれど、その晩にかぎって僕はなぜか自分がみすぼらしい気がした。  ゆかりさんの見合いの相手は、奥さんの親戚の何かに当る人らしかった。小肥《こぶと》りした体つきのその人を僕は玄関で見掛けたが、頭の髪を分けていたから坊さんではないのかもしれない。けれども本堂のとなりの、古いお雛様《ひなさま》の飾ってある座敷から、倫堂先生や奥さんの笑い声といっしょに、その人のぼそぼそした太い声が聞えると、それはやっぱり不断お経を読んでいる人の声だった。ゆかりさんは紫色の着物に赤い帯をしめて、ときどき僕らが御飯を食べているそばを真剣な顔つきでとおりぬけ、台所から何か運んで行った。勝ちゃんは、そのたびに食べかけた茶碗に箸《はし》をおき、ゆかりさんの姿を上眼づかいに見送った。 「そうとう濃厚なものですわねえ」  座敷から奥さんの声がした。それはどこかのお寺から、この日のために重箱に詰めておくられた豆腐料理のことを言っているのだった。その薄黄色い変にびしょびしょした豆腐は、小皿に取り分けて僕のお膳《ぜん》の上にものっていたが、一と口、口に入れてみると、生のアブラか何か得体の知れないにおいが喉《のど》のおくまで滲《し》みとおるようで、おもわずその場で吐き出した。——なんだろう、これは? たしかに濃厚なものといえばそうに違いなかった。しかしそれはビフテキやトンカツなんかとちがって、妙に冷い濃厚さだ。世の中で一番あぶらっこいもの、精のつくものばかりをあつめて、練って、かためて、凍りつかせたような感じだ。本当のお寺の人たちは、こういうものを毎日食べているのだろうか……。僕は、その豆腐の色が倫堂先生の細い首筋や、方丈さまのトサカのようにたれ下った喉仏の色に似ていると思う。  勝ちゃんはタクアンを糸切り歯で食い切って、お茶を茶碗からこぼれそうになるほど注いだお茶漬けの御飯といっしょに流しこむと、喉の肉をぴくりとさせて、カオッと変な音のおくびを一つ漏らした。とたんに僕は、彼女がいつも着物の裾から覗かせているヨレヨレになった腰巻きを連想した。すると彼女は、 「ああ——」  と言った。「さびしくなるわね、ゆかりさんが行っちまうと」  だしぬけのその言葉に、僕は滑稽な気がして笑った。しかし、いったい何がおかしくて笑うのか、自分にもわからないのだ。ゆかりさんの顔は、見ているだけでも何となく暑苦しくなる感じで、そんな人がこの家からいなくなっても、ちっとも淋しいはずはないではないか。それとも勝ちゃんみたいな女には「さびしい」なんて言葉が似合わないからおかしいのか。彼女はさっきはオムコさんが来るからと、あんなにはりきって門のそばまで「見張り」に行っていたではないか。  どっちにしても僕は、笑ったあとで急に、あたりのものがみんな腹立たしく見えてきた。お膳の上にあるものも、座敷から聞えてくる太い低いネバリつくような話し声も、すこしのお酒でいつにないカン高い笑い声など上げている先生も、モットモらしい口ぶりで座持ちしている奥さんも、そして、口を「へ」の字に結んで朱塗りのお盆をしずしずと座敷の方へ運んで行ったゆかりさんの顔つきも……。  勝ちゃんが台所へ洗いものに立つと、僕は座敷の次の間へ行って中の様子をうかがってみたい気持が、こらえようもないほど強く起ってきた。——なアに、大したことじゃない。畳のうえに足音を忍ばせながら、僕は心の中でつぶやいた。たしかに、ゆかりさんがお嫁に行く相手がどんな男かなどということは僕にとって、それほど興味があるはずのないことだった。ただ僕はこの場合、黙ってじっとしていることが何となく落ちつかず、がまん出来にくかっただけだ……。しかし玄関までくると僕は突然、憎むべきものの本体を見つけた。土間に白い革の鼻緒のすわった大きな下駄が一足あったのだ。  実際その下駄はイヤに大きく僕の眼にうつった。まだ下ろしたてらしく、箱から出て来たばかりのように真四角なのが、キチンと爪先《つまさ》きをそろえて踏み石の上に置いてある。すると僕は、たちまち一人の肥って色の青白い坊さんを眼のまえに浮び上らせたのだ。僕は式台の上に両手をついて、下駄の真上に頭をのばしながら、ふとその下駄に何かイタズラを——たとえばツバか鼻クソを乗せておいてやるようなことを——したい気がした。この思いつきに僕は胸をドキドキさせながら、イタズラをするまえに、もう一度、下駄をよくしらべておこうと、粉をふいたように鈍く光っている革の鼻緒に手をのばした。四角く切立った歯の底の所に薄く泥がついており、濡れて光った泥のあいだには魚の卵のようにつながった小さな砂利がいっぱい食いこんでいる。と、僕は不意にその下駄を踏んづけていたあの男の体の重味が指先きから伝ってくる気がした。同時に、その真新しい厚味のある桐《きり》の木肌にお坊さんの臭いがこもっているのを感じた。抹香《まつこう》のにおい、便所のにおい、虫の食っているお経の本のにおい……。それといっしょに、さっき食べた冷いアブラの凝《こご》りみたいな豆腐料理の臭いが口いっぱいに拡がった。僕は唇の端まで出かかっていたツバをあわてて飲みこむと、そのままフラフラと立ち上った。顔が額から頬までのぼせたように熱くなり、口の中にはナマ温いツバがあとからあとから湧《わ》いてくる。僕は、いったん掴《つか》んだ下駄をそろえなおすひまもなしに、むかむかと胸の底から突き上げてくるものを吐き出すために便所の方へ駈け出した。  見合いのあった日から、僕はまたゆかりさんと顔を合せるとヨソヨソしい気分になった。気のせいか、ゆかりさんの方でもこれまでとは人がちがったように、誰もいない廊下で往《ゆ》き合っても太い眉を上げて正面を向いたまま行ってしまうのだ。そうなると、そのぶんだけ僕は女中の勝ちゃんと親しくなった。  そんなある日、僕は風呂場で奇妙なものを発見した。その日、僕はめずらしく誰に言いつけられたわけでもないのに庭の掃除をして、掃きあつめた落葉を風呂の焚口《たきぐち》へ持って行った。すると、その五右衛門風呂のフタの上に見たこともないゴム製の細長い三角形をしたものが掛けてあったのだ。——何だろう、そう思うと同時に僕はある直感がはたらいて、どきんとした。あれだ、話にはきいていたが、どんなものか見当もつかず、想像もしたことのなかったあれにちがいないのだ。一瞬あたりはしんかんとして僕は未知の世界に一歩、足を踏み入れたときの人のように息をとめた。それはまるで生きてうごく動物だった。皮膚で呼吸し、皮膚だけでうごきまわる奇妙な動物が突然、水の底から浮び上って日に照らされている……。 「吉松さん、せいが出るわね、ご苦労さま……」  そんな奥さんの声に、僕はあわてて竹箒《たけぼうき》をとりなおした。すると台所の戸口からこちらを眺めていた奥さんの表情が変った。 「あ、ちょっと」  小さくさけぶ声といっしょに、おどろくほどの速さで奥さんは、ほとんど一とまたぎに風呂場へやってくると、もうそのアメ色をした奇妙なものを袂《たもと》の内側にかくしてしまった。しかし僕にとって意外だったのは、叱られるだろうと体を緊《かた》くしていたのに、奥さんのなだらかな顔には笑いがうかんでいたことだ。  一体、奥さんはなぜ笑ったのか? そして、あれは誰の持ちものなのか? どうてんしていた僕には、それを考える余裕がなかった。というより僕の頭の中には、まだあれが奇妙な動物の恰好をして泳いでおり、それは何というわけもなく勝ちゃんと結びついて離れることがなかったから、そんなことを考えてみる必要がなかったのだ。……だからこそ僕は自分のしていたことを、なぜ奥さんが咎《とが》めようとしなかったのか、それだけが意外でならなかった。あのとき僕のしていたこと、かんがえていたことは、すくなくとも恥ずべきことではなかったのか? それなのに奥さんは、それを倫堂先生に報告した様子もなく、何の注意もあたえられないのはどういうわけだろう。  じつのところ僕には、あの奇妙なものが女にとって何の役に立つものかハッキリとは、わかっていなかった。そういえば家の女中の芳枝が田舎から出てきて、まだいくらもたたないころ、母のまえで涙ぐんで何か話しており、僕がそばへ行くと、母が急に笑い顔になりながら、「あっちへ行っておいで、おまえには関係のないことだから」と追い払う手つきで言ったことがあった。その母の笑った顔を憶い出しさえすれば、奥さんがなぜ笑ったかは一切了解できただろう。……だが僕はあれを見て母をおもいうかべるわけには行かなかった。僕があれを見て想い出したのはむしろ地理風俗大系・南洋編の土人娘の裸の写真だった。首輪や耳輪や鼻輪などと同じように、それは装飾品の一種であり、おもしろがって身につけているもののような気がしたのだ。無論、僕だってそれは衛生上の必要からうまれた実用品だということぐらいは知っていた。しかし、その「衛生」が僕にはまた特別のひびき方で、白いガーゼや包帯や脱脂綿やは、みんなあのことを連想させるのだ。  時間がたつにつれて僕は、あのとき奥さんのうかべた不可解な笑い顔のことは、それなりに忘れた。けれども、あの三角形のゴム製のものは、いつまでも頭についてはなれなかった。毎晩、眼をつむると、あれを着けた勝ちゃんが土人娘のように裸でこっちに近づくのだ。しかし、それはいつも、もうあと少しというところで、わけもなく消えてしまう。——何とかして本当に彼女があれをつけているところを見られないものだろうか? 本堂で逆立をおしえてやると言ったら、どうだろう? あんがい素直に言うことをきくかもしれない……。  トリックをつかうことでは、すでに芳枝に柱時計のことで失敗しているにもかかわらず、僕は性こりもなく、そんな計略をいろいろと考えては、ああでもない、こうでもないと思うのだ。しかし、どんな計画も、いざ実行にかかろうとすると、芳枝に対する場合のように簡単には行きそうもないことばかりだった。先生や奥さんやゆかりさんの眼を盗むだけならまだしも、お寺には他にもいろいろの人がひょっくりやって来ることもある、そのうえ房江ちゃんとその下の男の児と二人の子供の面倒もみなければならない勝子は、芳枝とちがってなかなか忙しく、ゆっくり僕と話しこんでいるヒマが、めったにないのである。ふだんは、せいぜい台所か茶の間で立ち話をする程度だ。そんなところではとてもしたごころのある話なんかできやしない。  チャンスは奥さんや先生のいない日だ。ゆかりさんの縁談のことがすすむにつれて、奥さんは、ゆかりさんを連れて呉服屋へ出掛けたり、先生も先方の男との相談があったりして、まえにくらべると奥さんも先生も留守になる機会はずっと多くなっていた。……そればかりではない、結婚の準備がはじまると、家の中にはこれまでになく変にウキウキした空気が漂い出し、それが奇妙にお寺の陰気臭さと混り合って、誰もがいくらかずつは浮っ調子になっていた。ゆかりさんについて買い物に行ってきた奥さんは、ひさしぶりにみた街の様子やデパートの混雑ぶりを、夕食の席でいくらか昂奮《こうふん》した口調で話すのだが、まだ人波にゆられている錯覚がつづいているのか、話に興がのると頬や眼蓋の上がポッと赤らんでくるのだった。  そんななかで勝ちゃんは当然、ゆかりさんを羨《うらや》ましがっていたにちがいない。しかし誰もが、そんなことは気にかけなかった。新しく出来てきたゆかりさんの着物が衣桁《いこう》に掛けられると、勝ちゃんは、 「いいわねエ、悲しい気持がしてくるぐらい、いいわねエ」  と、頬《ほ》っぺたに手をあてて、心の底から羨ましそうな声を上げるのだが、その声に感じがこもっていればいるほど、みんなは面白がって笑うのだ。それは僕にも滑稽だった。まわりの笑い声が大きくなると、そのたびに勝ちゃんがムキになったように「いいわねエ」をくりかえすのは、自分もそれを面白がっているからだと思ったからだ。ただ、それがあんまり長くつづくと僕は何となくイライラさせられた。 「悲しい気持がするほど好いって、どういうわけなんだよ」  僕は、みんながいなくなったあとの茶の間で訊問《じんもん》してやった。 「どういうわけって、わけなんかないわよ……。ただ、あんまり好いと思うときは胸がジーンとなるから、悲しい気持になるんじゃないの」  勝ちゃんは、ぼんやり突っ立って窓の外をながめたままこたえる……。  すると、どうしたことか僕は突然、教室の廊下の外で立たされている自分自身のことを憶い出した。立たされている僕は、いつも窓の外をながめた。そして退屈だと思った。灰色の空、灰色のグラウンド、そして灰色の靴箱の列……。僕は勝ちゃんの言葉から、なぜ自分がそんなものを憶い出すのか、わからなかった。ただ勝ちゃんのみつめている窓の外に、ほこりっぽいヒバの垣根が夕ぐれ時の空気のなかに沈んで行くのをながめながら、この退屈な景色に向い合っている「悲しい気持」が僕の中にもあるのだと思った。  僕は勝ちゃんを好きになりはじめていただろうか?  いや、そうではなかった。ただ僕は彼女が他の誰かに馬鹿にされたり、いやしめられたりすることがあると、それが僕自身のことのように腹立たしく思うようになった。とくに、ときどき坂崎さんからの使いなどでやってくる鎮海さんが、勝ちゃんを見くびったような態度をするとき、僕はこの変に頭デッカチの顔色の悪い小坊主を憎たらしいとおもった。……鎮海さんが来るようになってから、伊藤さんはもう姿を見せなくなったが、いまになってみると僕は、この頑固に退屈なしごとばかりやっていた伊藤さんがなつかしいようでもあった。便所から出てきた伊藤さんが手水鉢《ちようずばち》で洗った手をパッパッと庭に向けて振り、そのまま縁側で中腰になって指先きから飛ばした水滴の行方をながめている、そんなことをふと憶い出すにつけて、あの人はまだ「こんな頭で、どこへ行ったってモテやせん」と、おととい剃《そ》った自分の坊主頭のことを気に病んでいるだろうか、などと思うのだ。この人だけは、勝ちゃんのことも、僕のことも、他のどんな人のことも、決して馬鹿になんかしなかった。  しかし、そういう僕自身が勝ちゃんを馬鹿にしていなかったかといえば、これはそうでもなかった。すくなくとも僕は、人前では彼女のことを良くは言わないように気をつけていたし、彼女があんまり僕に狎《な》れなれしい態度や言葉づかいをするのは迷惑におもった。このことは勝ちゃんもいくらか気がついていたらしく、「周ちゃんたら、人のみてるところだと、急に気取るんだから」と言った。僕は自分が気取り屋なのかどうかは知らない。ただ僕は勝ちゃんが人から馬鹿にされているとおもうと、自分がそれと同じように人から思われるのはイヤだったのだ。そして誰も見ていないところでは、僕は勝ちゃんにお世辞をつかうつもりか、むしろ自分よりすすんで彼女に馬鹿にされるようなことを言ったり、したりした。  何のためのお世辞か? それは無論、彼女のあれが見たかったからだ。  僕は、もはや便所の音をきいたり、その臭いを嗅《か》ぎわけたりすることからは、何も想像できなくなってしまっていた。音にも臭いにも、もう慣れきって、空想力はすでにその限界に達していたのだ。それにかわって、あのゴム製のものは僕の頭の中では人間の皮膚と同じものになっており、その記憶は次第にふくらみ上って、いまでは勝子の体そのものを風呂場のなかで垣間《かいま》みたような気にさえなっていた。  しかし、どうかすると僕はまた、こんなことをしていると自分は一生涯、女のあれを見ることができないでおわってしまうのではないかという、わけもない危惧《きぐ》に悩まされたりもした。そんなときは、あの本間にきいた万年筆の値段と見合う女のところへ何とかして行ってみたいと思う。     *  学年試験がおわった。成績は予想したほどは悪くなかった。去年にくらべて特別、勉強をしたというおぼえはなかったのに、どういうわけか僕の下に、まだ何人かの不出来な生徒の名前がつながっていたのである。 「これぐらいのことで得意になってはいけない」  倫堂先生は成績表をわたしてくれながら言った。無論それが得意になれるほどの成績でないことは言われなくともわかっている。しかし、どんな偶然があったにしろ、いくらかでも席次の上ったことで、僕はほっとした気分にはなれた。じつをいえば倫堂先生自身だって、そうにちがいないのだ。先生の顔つきを見ればそれがわかる。  実際、倫堂先生はここのところ毎日、とても機嫌がよかった。ゆかりさんの縁談も都合よくすすんで、ちかいうちにG県のお寺へ行くことになり、それまでの間ゆかりさんはいったん東京をはなれて田舎の両親の家へかえって行った。  春休みにはいって、先生は奥さんや子供をつれて、そのG県のお寺や、またそこから遠くない奥さんの実家を訪問することになった。最初、留守居の役は僕と鎮海さんとで、坂崎さんもこっちへ泊りにくるというようなはなしだったが、間際になって坂崎さんの方も忙しくなり、鎮海さんは来られないことになった。……こうなると残るのは僕一人というわけだ。勝ちゃんは、はじめから昼間はこちらで炊事や勝手の用をし、夜は方丈さまのお寺へ手伝いに行き、そちらで寝とまりすることにきまっていた。 「だいじょうぶかな、吉松、おまえ一人で……。夜だけでも坂崎の方から誰か泊りによこしてもらってもいいんだが」  先生は心配して訊いたが、僕は無論、だいじょうぶです、とこたえた。泥棒の用心や、火の元に気をつけることは、そんなに難しくはないし、子供のじぶんから夜はどこへ泊っても淋しがったり、こわがったりはしない性分だ。しかし結局、先生たちが僕に留守をまかせて二た晩どまりの旅に出掛けたのは、僕が信頼されたからというより、ここのところ家じゅうに何となくながれている浮き立ったような雰囲気《ふんいき》のせいだろう。  昼すこしまえに、みんなが出て行ってしまったあと、しばらく僕は気おちしたように、頭の中がガランとして何をしようという考えも起らなかった。  このお寺の建物の全部が、いま自分一人のために開放されているのかと思うと、僕は急に、広い本堂のどこへ坐っていいかにマゴついたときと同じように、どの部屋へ行ってがんばっていればいいのか、戸惑ってしまうのだ。渡り廊下でつながっている離れの奥の先生の書斎や、そのとなりの先生夫妻の寝室になっている座敷へ行ってみたが、ひと気のない部屋に足を踏み入れた瞬間、ぷうんと、まだ生温い留守の人の体臭が鼻につくと、なんだか自分が盗みをはたらこうとしているようなヤマシサが湧《わ》いて、長くはいたたまれず、雨戸をすっかりしめたうえ、渡り廊下のさかいめについている戸にも鍵《かぎ》を下ろして、そこへは自分自身も行けないようにした。本堂と弁天堂とに通じる廊下の戸にも鍵をかけると、いくらか気分は落ちついた。あと残っているのは、僕がつかっている六畳間と納戸、座敷が二つと、茶の間と玄関、それだけだ。これぐらいの広さなら僕一人でも、どうやら全部に気を配れる。……僕はついでに、自分の部屋の雨戸もすっかり閉めてしまうと、茶の間でひとり新聞を読んだ。  新聞は、どのページをあけてみても、あんまり面白くはなかった。ふだん、僕が新聞を読んでいるときは、たいていそばに先生か、奥さんか、でなければ方丈さまか、誰かがいる。で僕は、絶えず背中にそんな人たちの眼があることに気をつかって、いちばん読みたいところはワザとずらし、他のところを読むフリをしながら、横眼でとおくの方から狙いをつけた個所を斜におおいそぎで読んでしまうのだ。……いまは、そんなことを考えずに、どこでも好きなところがユックリ読めるのだが、きょうにかぎって小説欄の「お伝じごく」でさえ、国語の読本をよむのと大して変りないようなことばかり書いてある。  しかし、このころになって僕は、ようやくガランとしたまわりの空気が自分一人の気楽なものになってくるのを感じはじめていた。  夕方ちかくになって、勝ちゃんが方丈さまのお寺からやってきた。彼女は、僕がどこもかしこも閉めきって茶の間のちゃぶ台にひとり向っているのがおかしい、と笑って言った。 「どうしたの、こんなに早くから閉めちまって、まっ暗じゃないのさ……。びっくりさせないでよ」  彼女は、僕が臆病さからそんなに厳重な戸締りをしているのだと思いこんでいた。  僕は、すこし腹立たしかったが、あえて弁解も抗議もしなかった。  そんなことよりは、ほんのわずか別れていた間に勝子の顔が、いつもの感じとちがって、変に、しらっちゃけて平べったく、カサカサしたものに見えるのは、どうしたことなのかと思った。……夏休みに家へかえって、しばらくぶりで見た芳枝の顔が、あなぐらの中から出てきたタヌキのように見えたことを、憶えている。あのとき僕は、はなれて見る顔は醜く、見つづけているうちにこちらの中にはいってきた顔が美しく見えるものだということを悟った。けれども勝子と僕は、ほんの数時間、はなれていたにすぎないのだ。それなのに、どうしてこんなにハッキリと、まるで真昼の日にすかした古着の布地のように、アラばかり目立って見えるのか? 僕は、勝ちゃんの顔の思いがけない変り方に失望するというより、自分の心のうごきやすさがタヨリない気がした。ことによると僕はやっぱり、ひと気のないお寺に一人でおかれたということで、自分がかんがえている以上に緊張していたのかもしれない。それとも環境がすこしでも変ると、僕には勝子はただの「よその人」にすぎなくなり、他人行儀にかえってしまうのだろうか……。  しかし、鼻歌をうたいながら勝子が夕食のしたくをはじめ、僕は炬燵《こたつ》にあたってそれを聞いているうちに、こういう「他人行儀」はまた別の新鮮さになって感じられてきた。僕には、きょうだいはないが、もしあったとしたら、こういうものだろうか——などと思ってしまうのだ。 「周ちゃん、こんばんのおかず、なンにする? ……あたしはオシンコがあれば、なんにもいらないけどさ」 「ぼくも何だっていいよ。塩ジャケがないかなア」  僕は自分の心のなかに、あんまり経験したことのない一つのやさしさの芽ばえて来たことがわかった。それは、たとえばあのゴム製のものに対する強い好奇心なんかとはまったくちがった、気持の好いあたたかさが体のすみずみに流れるような感じのものだ。そのあたたかさを台無しにしないために、僕は善いひとになろうと思った。紺ガスリの着物をキチンときて、手にも爪垢なんか溜《た》めず、心のなかでもスケベエなことは一切かんがえないで、人に親切にすることだけをかんがえる……。  夕食がすんで、その後片附けもすっかりおわると、勝子は言った。 「周ちゃん、すまないけれど、あたしを送ってってくれない……。途中まででいいのよ、切りどおしの下の竹やぶのあるところがおっかないンだもの」  方丈さまのお寺までは、ここから僕の足で歩いて二十分ぐらいのものだ。往復で四十分かかるとして、その間ぐらいは家をあけたって、たぶん何でもないだろう。僕は彼女のいうことを引き受けた。 「いいよ。同じことだから、お寺までついてってやるよ」 「よかった。そのかわり明日は、もっと早く来て、エビてんか何かつくってあげるから……」  暗い道を、しばらくの間、僕らはかなり急ぎ足で歩いた。なるべくはやく送って、はやく帰らなければならないことも、夜になって急に冷えこんで着流しで出て来た素肌にあたる風がつめたかったこともあるのだが、それよりも二人が並んで歩き出すと、なにかわからぬ重おもしいものに包まれてひとりでに、まるで背中を誰かに押されでもするように、下駄の前歯をつんのめらせたりしながら歩いたのだ。  速度がにぶってきたのは、道のりの半分ちかくになったころだ。家並みがマバラになり、一軒一軒の家の門や垣根がどれも見覚えのない、とおりすがりに忘れてしまいそうな道すじに来たとき、僕は自分の胸や二の腕にぶっつかる勝子の躯《からだ》を、ふいに柔らかく、なまあたたかいものに感じはじめた。……この一年あまりの間に僕は、たしかに背丈がずいぶんのびたにちがいない。勝子の背は僕の鼻先きぐらいまでしかない。……僕は自分の体が勝子にもつれそうになるのをよけながら、そう思った。 「ほら、あすこよ。きこえるでしょう、かさかさ……。こわいわ」  勝子は不意に立ちどまって言った。僕には何も聞えなかった。それよりも急に止ったいきおいで、彼女は体ごと僕の胸いっぱいにぶっつかって、髪の毛のチクチクするような、それでいてからみついてくるような軟らかさが、甘酸っぱいにおいといっしょに、僕の顔を撫《な》でたのだ。僕は、いつか勝子が湯上りに浴衣の襟《えり》もとから覗《のぞ》かせていた外向きに張り出した乳房が、いま自分の胸の片側にもうすこしで触れそうになっているのを熱いぐらいに感じることで、いっぱいだった。 「ね、あの竹やぶよ……」  勝子はのび上って僕の耳タブに息を吹きかけながら言った。僕は、ついに彼女が何をも怕《こわ》がってはいないことに感づいた。同時に、胸のなかを別の「怕さ」が突きあげてとおった。僕は一と思いに自分の掌を彼女の胸に押しあてた。重くて、シンのあるやわらか味が、掌全部につたわった。すると、その僕の手の甲に勝子の手がのびてかさなり合った。 「ま、あったかい手ね」  勝子の言葉に突然、僕は眼が醒《さ》めた。どういうわけか一瞬さっとあたりに白い光でも射したように、自分のしていることがアリアリと眼の中にうかび、恥ずかしいような馬鹿ばかしいような気持で、勝子の胸とてのひらの間に挟《はさ》まれている自分の手を、いそいで僕はひっこめた。  しかし、あのときぼくは、なぜあの手を引っこめてしまったのか——?  その晩、僕は勝子を向うの寺の門まで送りとどけて帰ってくると、もうそのときから後悔がはじまった。掌のなかには、まだあの熱っぽい重味のある手ざわりが、どの指の一本一本のさきにまでくっついて残っており、僕はまるで新しい手袋でも試すように、その自分の手を眼のまえで握ったり、のばしたりしながら考えた。——なんだって、あそこで手を引っこめちまったんだ? あのとき勝ちゃんの手は荒れていて、僕の手の甲にひっかかった。しかし、そんなことぐらいが一体、何だろう。あのときの勝ちゃんは、いつもの勝ちゃんらしくもなく、することが何だかワザとらしく、芝居じみていたような気がする。しかし、それが一体どうしたのだ……。  僕は、こんなことを考えているうちにも、勝子の髪のにおいや、息づかいや、体温やらを、ひっきりなしに憶い出し、そうなるとますます自分のしたことが歯痒《はがい》ったらしく、残念になってくる。  だが、その晩の僕は、どんなに足掻《あが》いたり、残念がったりしたにしても、結局それは苦しいというほどのものでなかったことはたしかだ。それは、これまでの僕がアテなしに描きつづけていた重苦しい夢が、ともかく一つの具体的なものになってあらわれたということだし、僕が後悔したり、残念がったりするほどにふくれ上って行く勝子に対する欲望も、たぶん明日になればみたされるかもしれないという期待につながるものだからだ。  おかげで僕は、その晩にかぎって便所の音が枕元に聞えてこないということや、お寺の広い建物のなかに自分一人が寝ているのだというようなことは、すこしも気にかけずに眠ることができた。  けれども、翌朝になると事情はいくらかちがってきた。朝、眼をさますと同時に僕はもう勝子に会うことだけで頭がいっぱいになっていた。しかも倫堂先生も奥さんもいないお寺の朝は、誰にも遠慮がいらないだけに、おそろしく手持無沙汰だった。せきたてられるように顔を洗ったり、歯をみがいたり、本堂の仏壇へ頭を下げに行ったり、また横眼で新聞を大急ぎに読んだりするのは、けっして愉快なことではないが、それでもこんな手持無沙汰の気持でいるよりは、まだしもマシな気がした。ほかに何もすることのない僕は、ほとんど五分おき、三分おきに、柱時計を見上げた。勝子はいったい何時にこちらへくることになっているのか、それを別れぎわにでも訊いておかなかったのは大失敗だ。きのうはたしか、明日はもっと早く来る、と言っていた。その「早く」というのは何時ごろのことなのか、午前中の早くか、午後の早くか、それとも夕方の早くなのか?  よもや昨夜、あんなふうな別れ方をしたので、今日はこちらへ来ないつもりではないだろうか——? そう思うと、居ても立ってもいられないような気持になった。  時計が九時を打つと、僕は自分で朝飯のしたくをした。午前中に勝子がやってくることは、もうアキラメるべきだと思ったからだ。食事をおわって茶の間の窓から、ぼんやり外をながめていたら、自転車の音がして鎮海さんがやってきた。  僕は最近の鎮海さんは何となく苦手だ。どういうわけかはしらないが、鎮海さんと話していると、いつもどことなく底意地の悪い言葉でやっつけられる。この間も新聞をひらくと突然、大きな声で「鼻の悪いものはアタマが悪い。鼻さえなおせば成績は必ずグングン良くなる」と鼻の薬の広告を読み上げ、「なるほど」と一人でウナずくのだが、これはどうやら傍《そば》にいる僕が勉強のできないことをアテツケているらしい……。しかし今日の鎮海さんは、いつもとは、また様子がちがっていた。玄関から何も言わずに上ってくると、つかつかと座敷の方へ行くと襖《ふすま》を乱暴にあけはなしにして、ジロジロとうさん臭げに天井から押入れの中までのぞきこみ、座敷から座敷へ、離れの先生の部屋まで同じようなやり方で見廻り、最後には僕の部屋へ行くと、その腐りかかったようなフワフワした畳をやけに力を入れて踏みしめながら、眉をしかめて、不愉快そうに、 「臭いぞ、臭いぞ」  と言う。この部屋の臭いことなら、いまさら言われなくともわかっている。——ともかく、ここは僕の部屋なのだ、勝手なことはしないでもらいたい、と言おうとする矢先に鎮海さんは、たてつけの悪い押入れの襖を強引にひっぱりあけたかと思うと、なかに頭をつっこんで、奇怪にも僕のふとんのにおいを嗅いだ。あっけにとられて僕は怒る気にもなれず、黙ってそばに突っ立っていると、鎮海さんはようやくそんな僕に気がついたらしく、こちらを振り向くなり、その青ぐろい顔にウス笑いをうかべて、 「だいじょうぶだろうな。変りはないんだな……。こちらは責任があるから見廻りに来たのだ。倫堂さんの留守中にへんなことをされると、こちらにも迷惑がかかるんだから、気をつけてくれ」  と言ったかと思うと、それきり本堂へもよらずに、自転車にまたがって帰って行った。  一体、鎮海さんは何をしに来たのか、僕には見当もつかなかった。坂崎さんのお寺でも忙しいことがあるときいていたから、そのヒマをぬって面倒な留守見舞いを大急ぎにやっていったのかもしれないが、それにしたってあんなに乱暴にどの部屋の襖もあけっぱなしにして行かなくてもよさそうなものだ。  ところで僕は、鎮海さんのやったことに、どういうものかそれほど腹も立たなかった。というより、いまの僕にはその余裕もなかったのだ。——いったい勝ちゃんは、何時になったらやってくるのか。  時計は十二時を打ち、一時を打った。すると僕は不眠症の人のように、時計をとめてしまいたくなった。昼飯をまた自分でつくらなくてはならない。しかし食欲は全然起らなかった。——僕はダマされているのではないか。たしか倫堂先生は食事のしたくは勝ちゃんがやりに来てくれると言ったはずだ。勝ちゃんか、先生か、どちらかが約束をたがえていることになる。それとも、あれは僕の聞きちがえだったのだろうか?  しかし、いまとなると僕はむしろ、自分がダマされていたと考える方が気がラクだった。そうでなく、何かの都合で勝ちゃんがいまになっても来ないのだとすると、これは晩になっても姿をみせない可能性がつよくなるからだ。何か急に方丈さまの機嫌をそこねることでもあって、家族の全員が一歩も外へ出ることを許されない——、これは考えられないことではなかった。もし、そういうことが起っているのだとしたら、いったん言い出したことは一歩もひかない方丈さまのことだ、仮に勝ちゃんが僕の食事の用意をしに行かなければ、などと申したてたところで、「そんなことはほうっておけ」と言われるにきまっている。  そんなことを考えていると、なぜか勝子が方丈さまの折檻《せつかん》をうけている場面が、しきりに頭にうかんだ。手脚を縛り上げられたうえにサルグツワをかまされた勝ちゃんが、お堂の天井から宙吊《ちゆうづ》りにされ、そばに方丈さまが青竹をかまえて立っている。「言え。言わんか……。きさまは昨夜、竹やぶのそばで、吉松と何をした」  とうとう四時になった。旧式の八角形のボンボン時計が鈍くギリギリと、ねじの緩む音をたてながら、のろのろと時を打ちはじめると、僕はもう茶の間にじっと坐ってはいられなかった。時計の音は納戸の奥の僕の部屋まで追いかけてくる。僕は昨日、鍵をかけたままになっている本堂の扉をあけて、その真ん中に思いきり大の字になって寝ころんでみるつもりだった。それで気が安まるものか、どうかは知らない。しかし他には自分をどう扱っていいのか方法がみつからなかった。  ところで本堂の扉をあけた瞬間、僕は、おやと思うほど温い空気に顔をなでられた。まる一日以上、閉めっきりになっていたせいか、その広い部屋全体が何か人の肌みたいな温さなのだ。そして薄墨色の空気の底に沈んだ金色の仏壇のまわりから、何のにおいともしれない甘くて、やわらかなものが漂ってくる。何だろう? それは抹香でもなく、仏具や畳のイグサのにおいでもなかった。ともかく嗅いでいるだけで、ほっとしたくなるのは、やっぱり仏さまの匂いなのだろうか。……しかし、その匂いの濃くなる方へ体をすこしずつもって行くうちに僕はがっかりさせられた。それは仏壇の裏側にある本堂の来客用の便所のにおいだったからだ。ふだんは、ほとんどつかわれていないのだが、まちがいなく誰かが時折りはつかっている。わかってみれば、そんなものだったが、そのにおい自体は決してイヤなものではなかった。それは人間の体から出たものとはとても思えない、むしろつみ上げられて蒸れた枯葉がお天気の好い日にただよわせるにおいによく似ている。……自分もいつかは、そんなにおいのする体になってしまう日がくるわけだろうか。それならばアクセクと体をうごかすだけ、つまらないわけだ。  どれぐらいたってからだろう? 眼をあけると、勝子の声がした。 「こんなところにいて……、カゼひくわよ」  僕は、びっくりして起きなおった。あたりは、ほとんど暮れて、ガラス戸の外は水色になっている。 「いつ来たんだ」 「やっと、いま……。おそくなって、ごめんなさい。駈けてきたのよ……。そうしたら家の中じゅう真っ暗で誰もいないんだもの。しんぱいしちゃったワ、あたしの知らないうちに、どこかへ行っちゃったのかと思って」 「ばか……。どこへも行けるわけがない」 「でも、よかった、いてくれて……。すぐ御飯にするわね」 「いいよ、御飯は、まだでも」 「そうお……」  坐りなおした勝子は、暗いなかで見るせいか、昨日とはまた様子がちがっていた。顔も体も小ぢんまりして、着物が体にくっついてみえる。僕は、ふと気になって方丈さまのことを訊いた。 「元気よ……。どうして?」  僕は別にこたえなかった。方丈さまが元気でいつものとおりだとしたら、どうして来るのがこんなに遅くなったのか。しかし、なぜかそれを訊く気にもなれなかった。ただ、気のせいか、口ごもった勝子の顔がすこしずつ俯《う》つ向いてきそうだった。  僕には、女のかくしごとを見破る力なんか到底ない。けれども、ふと黙りこんだ勝子の顔つきに、何かありそうなことが、気配でこちらに伝わってきた。それに彼女の姿勢は昨夜とちがって、かたくて取りつきにくそうにみえる。すると僕の心は不意に、身構えたカマキリのように、相手かまわず跳びかかりそうになった。——昨夜はやりそこなったが、きょうこそ。  いきなり手をのばした僕に、勝子はめんくらったのか、顔をそむけた。僕の気持は、そのとき固まった。どんなむちゃなことをしてもいいから、相手をやっつけてやりたくなった。……しかし(後になって考えると)、勝子の気持はその瞬間から優しくなった。いったんそむけた顔を、こちらに向けかえると、 「いっぺんだけよ」  と、そのまま顔をかたむけた。こんどは僕がめんくらう番だった。口の中に、冷いものと温いものとがいっしょに這入《はい》りこんだかと思うと、たちまち、また出て行ってしまったのだ。それは僕が想像もしたことのないものだった。英語の字引の kiss という字に赤エンピツで太く印をつけているやつがいる。しかし僕は、それには今日まで好奇心も興味もまったく湧かなかった。 「もう一回」  と、僕は言った。だが、勝子は笑いながら逃げ出した。彼女の口もとに引っ掻いたようなエクボがうかび、バラバラに生えた歯がのぞいた。——タクアンをぽりぽり噛《か》んだり、便所でホオズキを鳴らしたりする歯だ、あれがいま僕の口にさわったのだろうか? と、一瞬ひるんだすきに、勝子は立ち上って駈け出した。こうなると、もうスポーツをやっているのと同じだ。僕は畳に腰をつけたまま柔道の足払いをかけた。彼女は当然ひっくりかえった。僕は跳びかかって、わけなく抑えこみにかかった。このとき女の瞳《ひとみ》をいっぱいにみひらいたような眼が僕を見据えた。——こんな眼に前にも一度ぶっつかったことがある。それは房江が地べたにしゃがみこんで僕を見上げた眼だ。 「あげるから、あげるから、ちょっとあたしの言うことをきいて」  僕の腕の下でもがいていた勝子が呼んだ。僕は手をゆるめなかった。勝子は、もう一度声を上げた。 「あげるわよ、でも、ここじゃダメ。あたし、そのまえに周ちゃんにあげるものがあるんだから……」  さっきから眼の端に金色の仏壇がうつるのは、僕も気にはなっていた。勝子の言うことは、言葉の意味もよくわからなかったが、僕は手をはなした。乱れた裾から白い脚がのびているのを手早くなおすと、勝子は畳の上を両手で二三度掻くように後すざりしながら、キラリと光る眼で僕を見た。そして、僕が荒い息を吐きながら茫然と立って彼女の方を見下ろしているのをみとめると、光る眼で僕を見つめたまま不意にその両頬に笑いをうかべた。 「いいものをあげるわ。これをうけとってもらわないと、あとのものがあげられないの」  勝子は立ち上ると、本堂からの暗い渡り廊下をさきにたって歩いた。そして自分にあてがわれた部屋のまえまでくると、 「待っててね、なかを覗いちゃダメよ、すぐすむから」  と、僕の体を抑えながら、後向きに部屋へはいった。  僕は別に、どんなものをもらおうとも期待はかけていなかったが、襖ごしに部屋の外で待たされているのが我慢できず、明いていた襖の隙間から覗きこんだ。  髪を結いなおすつもりか、鏡に向った勝子は真直な髪をバラバラにといて肩に掛けていた。次の瞬間、僕がぎょっとしたのは鏡の中の彼女が口に剃刀《かみそり》を横銜《よこぐわ》えにしているのを見たからだ。女の顔は真剣そのもののようだった。眼尻が吊り上り、ひたいの真ん中へんがくぼんで見えるほど、その両眼は何かの一点に集中している。彼女は一と掴み束ねた髪を前へまわすと、口から剃刀をはなしてこんどは、その髪をぱっと口にくわえた。その時、青ずんだガラス板の底から女は僕の方を見て笑った。とおもうと真赤な口に銜えこんだ髪が一と思いに剃刀で切りとられた。 「これ」  と、勝子は片手に剃刀をにぎったまま、鏡から振りかえると、切りとった髪を僕に差し出した。 「これ、あなたにあげる」  勝子はかすかにふるえるような声で、手の中ににぎりしめた髪を、また僕のまえに差し出した。僕はおもわず後へ退った。おかしいわけでもないのに、なぜか顔だけが笑っている。 「いらないよ、そんなもの」  僕は、わけもない怖《おそ》ろしさと不吉さを感じて言った。すると、勝子の顔色が変った。 「これ! あげるといっているのに」  突きつけられた髪よりも、僕は勝子そのものが怖ろしく、また三四歩、後へよろけかえるように退った。 「なぜとらない、やるといっているのに」  勝子は僕を追いつめると、かさにかかったように言った。 「これが、なぜとれない、これが、なぜいらない、……とれといったら、とりなさいよう」  僕は、あとすざりした足の踵《かかと》が畳のへりに引っかかって、そのまま尻もちをついた。勝子の体が馬乗りになって覆いかぶさってきた。 「これ!」  女の手の中で黒煙を上げて燃えているような赤味がかった髪の束が僕の顔に擦りつけられた。それは鼻や、口や、眼に、用捨なく飛びこんで押しつけられた。 「なぜとらない、なぜこわがる……、これがうけとれないんなら、なぜさっき、わたしにあんなことをした……。これ、何がおかしい、なぜわらう」  冷たさと、怕さと、くすぐったさとが、いっしょになって僕の腹の上で暴れまわった。そして、くすぐったさとは別に、恐怖心の割れ目から訳のわからないおかしさもこみ上げてくるのだ。 「ごめん、あやまる、許してくれ、ぼくが悪かった」  やっと勝子の体を跳ねのけた僕は、おそれ入って畳に手をついた。 「いいわよ、あやまらなくても……」  勝子の顔は昂奮がとけたのか、白い頬《ほ》っぺたに小さな笑いをつくっていた。——恥ずかしがっているのだろうか? 鏡のまえで髪をなでつけている勝子を見ながら、そう思った。二つに分けた髪をヒモでしばり、一つに合せてグルグルまきにし、頭のうしろにマゲにしてくっつける。そんな動作を見ていると、ついさっきまでの勝子の姿は、まるで悪い夢かマボロシだったとしか思えない。けれども僕の胸はまだ荒い呼吸をつづけており、口からは重苦しいツバがわいて、それを嚥《の》み込もうとすると、あの生臭い場面が現実のことであり、それがまだおわってはいないことを、イヤでも認めないわけには行かなくなる。  髪の手入れをおわった勝子は、こちらを振りかえると、ちょっと眼を細めるようにして僕を見た。そして小さな声で言った。「——送ってってくれる?」  僕は不意をつかれるおもいに、おどろいて勝子を見かえした。しかし考えてみれば、昨日したことを今日は断るという理由がない。僕は生れてはじめて出会《でくわ》す責任の重さのようなものを両方の肩の上に感じて、黙って彼女のあとを追おうとした。しかし彼女は勝手口の土間で下駄をひっかけると、すぐ後に立っている僕を追い払うように言った。 「いいわ……、いいの、ひとりで帰れるわ。ついて来てはダメよ」  闇のなかに駈け出した勝子を見送って、僕はホッとすると同時に、何か絶対に失くしてはいけないものを落してしまったような不安にさらされた。だが、それが何だったかを考えるまえに、僕は突然、たまらないような疲労におそわれて、自分の部屋にかえると着換もせずに、ふとんの中にもぐりこんだ。すると、ふとんがよほど冷くなっていたのだろうか、いきなり全身が物凄《ものすご》いいきおいでふるえはじめた。  あれからもう十日以上たつ——、と僕は天井のハメ板を見つめながらおもった。煤《すす》やクモの巣やでほとんど真黒になっている天井板が、熱のあるせいだろうか、いくらか赤味がかっているように見える。この天井板とも、枕元に甘酸っぱい臭いをただよわせているこのキノコの生えそうな古い畳とも、もうお別れだ。あの日から僕は病気になった。翌日、かえってきた倫堂先生は、真赤な顔をして寝こんでいる僕をみて驚いた。熱が四十度ちかくあった。やって来た医者は、袋に「急性気管支炎」と書いた薬をおいて行った。けれども僕はその医者が倫堂先生をよぶと小声で何かささやいたのを知っている。「食事には栄養のあるものをとらせてください。病気のことは、もうしばらく様子をみてみないとわかりませんが……」。医者の言葉に先生の顔は緊張した。その晩、先生は一人で部屋へはいってくると、口のまわりに笑いをたたえながら、「そろそろ家へ帰ってもいいころだったんだな、成績もいくらかは上ったことだし……。いま、お母さんに来てもらうように手紙を書いたから」と言った。僕は先生にお礼を言おうと思った。しかし先生は、まるで僕をバイキンのかたまりだと思っているのか、何かわからぬ笑顔で大急ぎに部屋を出ると障子をぱちんと閉めて行った。  本堂から鐘を鳴らす音が聞えてくる。きょうは「花まつり」の日だ。日曜学校の子供たちがやってきて、劇をやったり、合唱したりする。倫堂先生が一年じゅうで一番はりきる日だ。去年は先生も子供の芝居に一と役かって、インドの坊さんの役になった。けれども今年の花まつりは、先生もあんまり気が乗らない様子だ。家の中のことでゴタゴタしすぎたからかもしれない。僕は知らなかったが、あのあくる日、勝ちゃんは坂崎さんのお寺の鎮海さんとしめし合せて、どこかへ行ってしまった。そのことでは奥さんに、枕もとで「何か気がついたことはなかったか」と訊《き》かれた。僕はほとんど何もこたえられなかったから、黙って首を振った。あとで見舞いにやってきたゆかりさんに訊くと、「一年ぐらいまえから、あの二人は何かあったらしいわよ」と言った。ゆかりさんはいよいよG県のお寺へ行くことになって、いま田舎からお父さんやお母さんといっしょにこちらへ出て来ているのだ。  勝ちゃんと鎮海さんとがいなくなったということには、僕はそれほど驚かなかった。僕はただ自分のしたことがそれに関係があるにちがいないと思うと、そのことが怖ろしかっただけだ。しかしいま、あの二人が一年まえから何かあったと聞かされると、僕は安心すると同時に、なんとなく合点の行かない気持になる。あの竹やぶのそばの道で勝ちゃんに手をとられたことと、あのあくる日に鎮海さんが僕の部屋の押入れの中まで覗いていったこと、それにあの晩、勝ちゃんが髪を切って僕にくれようとしたこと……。一年まえから鎮海さんと何かあったのなら、勝ちゃんはどうしてあんなことをしたのだろうか。  それにしても、あの晩のことを憶《おも》うと僕はいまだに、怖ろしさと恥ずかしさとで胸がいっぱいになり、なにか大声に叫び出しそうになって、いそいでふとんの中に潜りこむ。  あの晩、あれから寒けがして、ひどい熱が出たことを、僕は仏さまの罰が当ったのだと思った。けれども、いまになるとかえってこの病気で僕はすくわれたのかもしれないと思う。病気になったおかげで、熱で頭がすっかりぼんやりしてしまっていたおかげで、僕はあの怖ろしかったことを大部分、忘れることができた。それに、もし病気にもならずに自由のきく体だったとしたら、ここにこうやってじっとしていられたかどうか判らない。僕は、ここをとび出してどこかへ行ったかもしれないし、もしかすると警察へよばれるようなこともしたかもしれない。それほどに僕にとってはあの晩の出来ごとは大きかったし、また勝ちゃんと鎮海さんとがいなくなったということを聞いても、こんなに平気ではいられなかっただろう。僕は、あの鎮海さんの大きな横に張った坊主頭をおもい出し、それと勝ちゃんとが僕のやったようなことを、いまどこかでやっているのかと思うと、こうして寝かしつけられていてさえわけもなく寝床からとび起き、そのへんを思いっきり駈けまわってみたくなるほどなのだ。仏さまはこれからも無闇にあんなことをしてはいけないというしるしに、僕の体に罰をあたえたうえに、熱で心の苦しみをやわらげてくださった。  午後になって本間が見舞いにやって来た。はいってくるなり部屋のなかを眺めまわして何も言わないから、 「そうとうひでえ部屋だろう」  と言ってやると、本間は心細そうな顔をして、 「じつは、ぼくもここへ�入院�させられるかもしれないんだ」  と言う。去年の僕のように、ことし仮及第だった本間は担任の森先生のところへあずけられることになったが、やっぱり森先生の家は狭すぎるのでかわりに保成先生のところはどうかと言われたのだそうだ。 「じゃ、ぼくと選手交代というわけか」 「そうだよ。もっと君、ここにがんばっていてくれよ。そうでないと、ぼくがこまるよ」  じょう談ではない。僕はもうたくさんだ。ここにこのままいるくらいなら、家で母親といっしょにグチっぽい話をきかされながらくらした方が、まだマシだ。しかし僕はふと井上のお母さんの顔を憶い出して訊いた。 「井上はどうした。ことしもドロップしたんじゃないだろうな……」  すると本間は僕の顔を何かたしかめでもするように見なおして言った。 「井上は学年試験のはじまるまえに死んだよ」 「死んだ? まさか水銀の飲みすぎじゃないんだろうな」  井上が、声をシブくするために水銀をのむというのは僕には架空なつくりばなしのような気しかしなかったが、その井上が死んでしまったということは、また一層本当のこととは思えない……。 「ところが、そうなんだよ」と本間は、れいの子供っぽい顔つきをゆがめると、いまにも泣き出しそうな声で言った。 「ぼくがやった水銀を、むちゃくちゃに飲んでしまったんだ……。学校にもそれがバレたものだから、それもあってこんどは、ぼくが�入院�させられることになったんだ」 「どうしてまた、そんな危いものを渡したんだ」  僕は、まだ信じかねて、イラ立たしく訊いた。  すると本間は、ますます困惑した顔になって、井上がシブい声をつくるために水銀をのむというのは嘘だ、と言った。じつは井上は悪い病気を女からうつされていた。そして水銀がその病気にきくときいて、それを信じて、すこしずつ飲んでいたのだが、高価な水銀はなかなか買えないというので、本間が家のものには黙ってそれを手に入れて、このまえ僕といっしょに井上のところへ行った日に渡してやったのだという……。  そこまで聞いて、ようやく僕にも合点が行った。 「しかし、井上は何だって君にもらった水銀を、そんなにむちゃくちゃに飲んだんだろう」 「それは、ぼくにもわからないよ」  本間は、ただ途方にくれた顔つきでこたえた。 「もしかすると、井上はやっぱり死ぬとわかっていて飲んだんじゃないかな」  僕は何気なく思ったことを言った。  勿論《もちろん》、薬をたくさんのめば病気がはやくなおると井上がかんがえたということもあるかもしれない。しかし井上には病気のことよりも、もっと気になることが何かあったんじゃないか? もしかすると、井上の家のお寺が焼けたのも井上が火を点《つ》けたのじゃないだろうか。……僕は、西日のさすほこりっぽい喫茶店でガラス玉のような眼をギラギラさせていた井上の顔を想いうかべながら、そう思った。このジメジメした建物の中に、これから先もずうっと住みつかなければならないのだとしたら、このカビ臭い空気に一生つきまとわれなければいけないのだとしたら、そういうことをやってみたくなるとしても不思議ではないようだ。   天にはひかり   地には花   きょうは楽しい花まつり   ねんに一度の花まつり   …………  子供たちの歌う声に合せて、チンカラチンカラと、倫堂先生の鳴らす鐘の音が、本堂からきこえてきた。この歌で「花まつり」の会はおしまいだ。しかし、チンカラチンカラとひびく鐘の音をきいていると、僕はなぜか、井上の家のお寺の屋根が真赤になって燃えており、火見やぐらに上った倫堂先生が、必死になって半鐘を打っているような気がしてしかたがなかった。 昭和三十七年九月新潮社より刊行 昭和五十九年二月新潮文庫版が刊行